話し合いが「瀕死」の状態に陥っている 「話し合いは、面倒くさい」 「話し合っても、何も決まらない」 「話し合いは、時間の無駄だ」 このような「あきらめ」が、社会全体に広がっているような気がするのです。あなたの学校や会社で、話し合いは今や「瀕死」の状態にありませんか。 「やらされ感」の漂う会議、何も決まらない打ち合わせ、沈黙だけが支配する学級会、紛糾する委員会。話し合いに対する人々の「絶望」が深まっています。 一方で、話し合いの大切さや意義が、これほどまでに認識されはじめている時代も、ありません。 社会には分断や争いが増え、不確実性が増す中で、それでも物事を決めなければならない局面が増えました。そう簡単にわかり合えない隣人と、それにもかかわらず妥協点を見出しながら、話し合いを交え、生きていかなければならない状況も生まれています。話し合いは、多様な人々がこの世に生を受け、他の人々と「ともに」生
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