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ブックマーク / ekrits.jp (2)

  • 浅野紀予「思想としてのペースレイヤリング」 | ÉKRITS / エクリ

    建物は変化する。刻々と成長し、みずから学んでいくものである。単なる空間的な構造物ではなく、時間というパラメータを考慮に入れ、この世界に生まれ、様々な成長を遂げ、やがては死に至る、一種の「有機的存在」としてとらえなおす必要があるのではないか。 スチュアート・ブランド※1 は、著書『How Buildings Learn』で、時の流れとともに建物に何が起こるのかを探究しました。そのなかでブランドが提示した「ペースレイヤリング(Pace Layering)」の概念は、建築の世界にとどまらず、情報やメディアに関わる分野でも多くの注目を集めてきました。 このが世に出てから20年後の今、その思想の意味をあらためて考えたいと思います。 スチュアート・ブランドの基モデル ペースレイヤリングの基となったのは、こので示された以下のモデルです。 [図1] “Shearing Layers of Chan

    浅野紀予「思想としてのペースレイヤリング」 | ÉKRITS / エクリ
  • 清水高志, 上野学「デザインと哲学、その未分の源流で」 | ÉKRITS / エクリ

    オブジェクト指向の哲学とデザイン 清水高志: 最近僕は概念を造形的に考えることが多くて、それが哲学とデザインに共通する話につながってくるんじゃないかと思っています。 ドゥルーズは『ベルクソニズム※1』などの書物で、概念は最初から複数の概念対が複合したものとしてあると語っています。たとえばプラトンは『パルメニデス※2』で、「一」とか「多」とかいうバイナリーな概念の対を単独で語るのではなく、それを別の概念の対と結びつけてより具体的に語っています。つまり、「一」というのは「ある」とか「ない」という概念の対と結びついて、「一」が「ある」とはどういうことか、また逆に「多」が「ある」とはどういうことかを考える。最初から哲学はこうした操作としてあって、その中で似たような概念対同士の違いも明らかになってくるわけです。 これは哲学の概念の話ですが、最近僕はどうも人間が世界を認知する局面でも、すでに似たような

    清水高志, 上野学「デザインと哲学、その未分の源流で」 | ÉKRITS / エクリ
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