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ブックマーク / bakuhatugoro.hatenadiary.org (5)

  • 2009-08-14

    世評の高かった細田監督の前作「時をかける少女」に、フラットな人間特有の思い上がりのようなものを感じ、自分が大事にしている部分でかなり重大な違和感を持っていたので、それなりに身構えた観方をしていたはずなのだが、いやいや…見事にやられました。 製作者たち自身もテーマとして喧伝している、田舎や大家族の描写については、まったくリアリティを感じなかった(むしろ、そっちについてはおざなりで、仮想空間のシーンになると途端に活き活きしてくるような印象を持った)。あまりにも表面的であっさりしているから、違和感とかそういうこと以前に、ほとんど印象にも残らなかった(例えば、家族の繋がりを象徴する卓を囲むシーンで、全然メシがうまそうじゃないのが象徴的。これが宮崎駿なら、事作りのディティール含めて、思いきり凝りまくって、体感的にテーマを伝えたはず)。 つまり、彼らが口ではどう言っていようと、当の興味はそこには

    2009-08-14
    gotanda6
    gotanda6 2009/08/14
  • 最近、時の流れが加速してるなあ… 2009-01-31 - ぼうふら漂遊日記

    さっき、テレビで『20世紀少年』やってるのをぼーっと観ていて、つくづく思った。 こういう映画の企画は2、3年前から動いてるんだろうけど、公開までにまさかここまで、世の中が一気に貧しくなっちゃうとは想像できなかったんだろうな。 そういうこと以前の出来そのものも、過去と未来をシャッフルしながら進んでいく原作の展開を、この映画はうまく処理できていなくて、生理的、心理的な流れがぶつ切りで、それぞれの出演者は青筋立てて熱演してるのに全部から回り、という痛ましいことになっている(この監督に限らず、90年代的なセルフボケツッコミや内輪ウケセンスが身上で、物事に正面から向き合うことを避けてた種類の才能は、プラスのカードが全部マイナスにひっくり返るような苦境に、これからどんどん立っていきそうな気がする)。 けれど、仮にその辺がうまく行ってたとしても、話の背景にあるプロットやメッセージ自体の「いい気なもんだ」

    最近、時の流れが加速してるなあ… 2009-01-31 - ぼうふら漂遊日記
    gotanda6
    gotanda6 2009/01/31
    最近、時の流れが加速してるなあ…
  • 2008-01-11

    数年前に観た『資金源強奪』『やくざの墓場 くちなしの花』という2映画が、近年の自分の在り方に大きく影を落としていることは間違いない。 深作作品をはじめとする、70年代東映暴力映画の現在の受け取られ方を見ると、「綺麗ごと言ったって、人間ひと皮向けばエゴイスティックなもの。どうせ最後は一人なんだから、自由にやりたいことをやり通せばいい」といった、前者的なメッセージへの共感が圧倒的に強い。 自分自身、笠原和夫の仕事に注目する以前は、専らそうした猥雑なバイタリティを、世知辛く縮こまりがちな自分を鼓舞してくれる、乱暴な単純さという部分で愛好していた。 今現在も、半分はそうだ。 けれど悲しいかな、自分自身を含めて現実の人間は、そんなに強くシンプルに出来てはいない。 「やりたいこと」は自分一人では完結しない。 隣を気にし、空気を読み、群れをつくり、縛りあいながら、その中で少しでも良い場所を得るために

    2008-01-11
    gotanda6
    gotanda6 2008/01/12
  • 2006-10-20

    例の松零士、槇原敬之間の盗作騒動。 http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2006/10/19/01.html 自分は最近のパクリ、パクリと鬼の首を取ったようにやりあう風潮は不快だし、著作権なんて創作者の生活を守る為の方便みたいなもので、極論するとパクリなんて創作の前提で、クオリティだけが問題にされればいいじゃないか、くらいの考えなので、第一報を聞いた時は正直「松先生も最近は御歳でムズカシクなられてるから...」という予断を持っていた。 このセリフ自体も『銀河鉄道999』のものとは言え、90年代に入ってからの新シリーズのものなので、さして一般的に有名なものではなく、槙原がそれと意識せずに使った可能性も高いんじゃないか。 が、問題の槇原の歌詞を読んで、考えが変わった。 夢は時間を裏切らない 時間も夢を決して裏切らない その二つがちょうど

    2006-10-20
    gotanda6
    gotanda6 2006/10/23
  • ぼうふら漂遊日記::『すいか』と『祭ばやしが聞こえる』

    mixiでまっちゃんやまさかり君が薦めてくれた「すいか」を、遅まきながら僕も録画して観てみたんだけど... 正直、生活やディティール抜きのところで「気の持ちよう」だけを言ってるようで、僕にはまったくリアリティが感じられなかった。例えそれが「日常」の再発見をメッセージしていたとしても、やはりそれが日常のディティールや時間の積み重ね抜きでは(しかも三茶のレトロなアパートで緑とアンティーク家具に囲まれて暮らす文系ねえちゃん&おばちゃんの話を「普通」と言われても)、こちらには何の参考にもならない。 カスミって生きてるわけじゃないんだからさ。 むしろ「現実」と「憧れ」を、(半ば故意に)曖昧にし、混同している「非日常」に見える。 繰り返すけど、「スロー」な日常感覚をことさら持ち上げることに反発しているわけじゃない。 敢えてこれに対置するけれど、昔ショーケン主演の「祭ばやしが聞こえる」という「スロー」

    ぼうふら漂遊日記::『すいか』と『祭ばやしが聞こえる』
    gotanda6
    gotanda6 2006/08/03
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