おはようございます。タカです。 今回の記事でも足利義教と比叡山延暦寺の間で起こった 出来事を書いていきます。 前回、義教と延暦寺の間に大きな亀裂が生じてしまいました。 人と人の間に生まれた亀裂を修復するにはどうすれば良いのでしょうか。 義教と延暦寺がそれからどうなっていったのかを紹介していきます。 それでは学びのブログへ。 【比叡山延暦寺に非は無かったのか?】 比叡山延暦寺の基礎を造った最澄の死から時は流れ、同じ寺とは思えないほどの変貌を遂げていました。 最澄が目指した「仏教を学ぶ施設」であると同時に、武装した男たち(僧兵)を多数抱えることで「武力を持った寺院」へと姿を変えていました。 武士が生まれたのは権力者が領地や財産を守るためだったと言われています。 同じように僧兵が生まれたのは寺の所有する領地を守るためだったと言われています。 当時は盗賊なども当たり前に存在した時代ですので僧兵を抱