昨夜はとんでもない人数でSkype通話していた。結構長い間、お話を聞かせてもらっていたけれど、グループ作成提案をフクロウにけしかけてよかったと実感。という僕も、植物の悪魔によって心理操作されていたことは否めない。久しぶりに大人数が集まったので、とても賑やかになった。さらに新しい人も現れて、その人もなかなか面白い人だった。最近いいことが続いている反面、悲しいことも多々見受けられよう。(僕と関わる人は皆不幸になるのかもしれない。)絶対にノーマル人生手に入れるんだ。それに好きな人が僕のことを怖がっているかもしれないから、どうにかして誤解を解きたい。でもどうしたらいいのだろう。ねり飴ちゃんと僕は親戚だ。彼女が苦しんでいたら力になるし、悲しんでいたら彼女自身の力で、沼地から助かるように道を作りたい。フクロウも植物も赤ちゃんだってそうだ。他にもたくさんいる。僕は今までずーっとノーマルに憧れていた。でも
土日月と、博物館、美術館巡り。3年ぶりに «aller au musée » の日々を過ごした。 さあさ、まずは空港から始めようか。とはいえ、記憶の再生に自信がなく、忘却録音の状態が常にある。 【1日目】 その日は、Twitter上で漫画家本人に教えてもらい、注文後すぐに届いた、いつも着ている気に入りのメーカー、グラニフのカシワイさんとのコラボTシャツを着て、迷いながらも空港へなんとかたどり着く。 到着フロアにて旅人たちの流れる様をみていると、ずーっと後になってから、いばらの棘で負傷しながら、ただひたすらに探し求めていた幻想フィルムの主人公がとぼとぼと歩いてきた。少女の表情からは、どうやら少しだけ緊張が解かれたようで、人見知りの僕らはにこやかに挨拶もしないまま、早速お昼ご飯を何にしようか相談していた。たこ焼きに目が行ったらしい。大阪のたこ焼きだ。しかし僕は知っている。関東で出されるたこ焼き
宇宙から流れ落ちる生命力を形成する“Es“。それは死であり再生であり、彼女の作品を通してさえも、実際には見ることのできぬ霊的な力。彼女は祖母の埋葬に関する記憶により、死へのつよい恐怖を抱き、よく言われる「肉体から溶け出した自我は宇宙へと拡散する...」そのような認識を持っていたそう。泥をひたすらに頭から被るように、沼に全身を浸すように、彼女は大地と調和することを求めていた。美しい赤い糸からは「距離」「繋がり」「生命力」などを感じ取れる。“Sie wohnt in Berlin.“ このように初歩のドイツ語さえも彼女は話すことが出来なかった、という可能性もありうる。しかしながら彼女には何処へ居ても生き抜くだけの力を発揮していた人なので、作品を評価されてからはオーケストラの舞台演出など任されることもあった。最後の展示は少しあぶない。
僕はニットから受け取るふんわりとした印象を好む。ニットの中には猫が2匹丸まっている。ごめんなさい。 先ほどまで地元のStarbucksで『牝猫』の同じところを何度も読み返していた。一ページに満たない、アランとサアのやりとりは、かつての僕とミミとの日々を思い出させてくれる。 焦点をそこに当てたのならば、僕の人生はしあわせだ。他の人、普通の人生、犯罪に巻き込まれない人生、小さなことを「苦労」と呼べる人の生活、それと比べたら、とても小さなことかもしれないが、僕にとっては心の大部分を占める大切な存在、それがミミとの日々。 8歳から24歳までの約16年間を共に過ごしてきた。学校や家庭、学習塾や道路で、この世界の一部をのし歩く悪しき人類によって、酷い扱いを受けたとしても、部屋に戻れば後ろから彼女がついてくる。名前を呼ぶと、返事をしながら走って駆けつけてくれる、僕の愛猫ミミ。 勿論、タマのことも忘れては
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