「単発の仕事」「日雇いの仕事」というと「安価な仕事」がイメージされる。しかし、高い専門性を持った人材が、高い報酬で1回限りの仕事を請け負うことが増えてきているという。それがギグ・エコノミーだ。
中小電機メーカーに勤務する39歳の谷口栄介さん(仮名、以下同じ)。彼が不動産投資に目覚めたきっかけは、新上司からの突然の冷遇だった。 32歳の若さでマネジャー級のポストに抜擢された。営業職で辣腕を発揮していた谷口さんの会社人生は、その1年後に経営者が交代して暗転する。「私は違うと思ったらハッキリ言う性格。どこかで後任社長のしゃくに障ることを言ってしまったようだ」 突然、まったく経験のない購買・調達部門へ異動になった。マネジャー級の役職からヒラ社員へと異例の2段階降格となり、年収は600万円台から400万円台に激減。最初は実力で見返すべく慣れない購買の仕事を必死で勉強した。その結果、職場からは評価されるようになったが、トップの評価は覆りそうもなかった。 谷口さんも疲弊していき、会社人生に希望を見いだせなくなる。転職するには年齢的にいっている。しかし会社依存からは脱却したい。たどり着いたのが不
ほぼ毎日マクドナルドで昼食を食べて5年のネイディーン・バウムさん。彼女の100歳の誕生日にお店が用意したプレゼントとは? Words: Masako Iwasaki ※画像はイメージです Photo: ロイター / AFLO 米ペンシルベニア州ハノーバーのマクドナルドに、5年ほど前からほぼ毎日ランチを食べに来る女性がいる。10月13日に100歳になったばかりのネイディーン・バウムさんだ。 最近は関節痛のために歩行器を使って訪問。息子のマイクさんを伴ってハンバーガのランチを楽しんでいるという。そんな彼女のために、同店のスタッフがサプライズプレゼントを贈った。 13日の誕生日、スタッフはいつもの時間にやってくるバウムさん親子をエントランスで出迎え、「ハッピーバースデー」を歌って祝福。いつも彼女が座る指定席は、花や風船でにぎやかに飾られ、テーブルの上にはバースデーケーキが用意された。 ネイディー
アツアツに揚げられた6種類のポテト。そこにタルタル、サルサ、アンチョビなど10種類のディップ。そしてベルギー生ビールをぐいっと一杯……。フライドポテト専門店「AND THE FRIET」が12月2日(月)、東京・広尾にオープンする。 ベルギーではフリットと呼ばれるフライドポテトが国民食。くるっと円錐形に巻いた紙(FLOWER)の中に入れられた熱いフリットは、子供から大人まで誰もが大好きな、スナックの王様なのである。ディップやトッピングはマヨネーズをはじめ、サワークリーム、サルサ……なんでもあり。そんなベルギーのフリットの魅力を伝える、これまでになかったタイプの店が「AND THE FRIET(アンド・ザ・フリット)」。素材にもプレゼンテーションにもこだわり、フライドポテト好きを満足させるメニューを取り揃えた。 まず、主役のじゃが芋は6種類。本場ベルギーから空輸したものと、国産の芋の両方を揃
Text: Jun Nishikawa Photos: Kazuhiro Hayashi (Kind Company), Jun Nishikawa 9日間4000kmのラリーを終え、大歓声に出迎えられて、サンタモニカのフィッシャーマンズ・ワーフに無事ゴールしたハコスカGT-R。他のチーム・ジャパン7台もほぼ同じタイミングでゴール。参加台数130台中、完走は約100台だったから、100%完走のチーム・ジャパンは旧い日本車の優秀さも証明したカタチに。もちろん、乗員の忍耐強さも(?)。 「グレート・レース」と言っても、有名なコメディ映画の話じゃない。そういえばあの映画も、その昔ニューヨーク〜パリで行われた自動車レースをモチーフにしていたが、本リポートは、レースはレースでも、アメリカで毎年開催されている大陸横断(もしくは縦断)型クラシックカー・ラリーレイドの参戦記だ。 2015年の今年で25回目
待望の国際試乗会が開催されたのは、やはり本国ドイツの地。イベントの基点として用意されたのは、ミュンヘン国際空港のターミナルビルに隣接して建てられた特設パビリオン。ちなみに、モデルライフ途中でのリファインや追加モデルを含め、従来型の試乗イベントも何故かミュンヘン近郊を舞台としたものが多かったのが、パナメーラというモデルでもあったりする。 大人4人がゆったり乗れる、4枚ドアを備えたスポーツカー。そんなポルシェ社のかねてからの夢実現に向けて、2009年に初代モデルがローンチされたパナメーラ。 それから7年ぶりとなるフルモデルチェンジを受けた新型は、前述ワークショップの段階までは覆われていた、前後ライト周りなどの軽い擬装が外されても「従来型で確立されたテイストに、さらに“911風味”が強まった」というエクステリアデザインに対するイメージが変わることはなかった。
空っぽの道がまるで未来へと誘うように、彼の眼前に延びていた。速度制限のないこの道を呑み込むように、彼はジャガーEタイプを時速120キロの猛スピードで走らせる。M1モーターウェイに、他の車の影はなかった。その彼の後ろを、白バイが追う。デイヴィッド・ベイリーは、当時、車、とりわけジャガーEタイプやロールスロイスといった高級車を保有する数少ない若者の一人であり、ゆえに常々、警察に呼び止められていた。 これはスウィンギング・ロンドンが公式に生まれる1年前、1965年のことだ。ベイリーは『ヴォーグ』の仕事で、ピーター・ユスチノフ監督作『レディL』を撮影中のソフィア・ローレンを撮るため、撮影地のスカボローに向かっていた。 警官は、このM1に速度制限はないとはいえ、匿名者からスピードオーバーの通報を受け、若き写真家デイヴィッド・ベイリーを追っていたのだ。警官はベイリーの車を呼び止めた。
2014年にJリーグ史上最短の1年ぶりにJ1への昇格を果たした「湘南ベルマーレ」ではサポーター間の横の繋がりも深く、湘南という街ぐるみでの活気がものすごい。本連載第14回目は、そんなチームとサポーターをさらに盛り上げる「ベルマーレクイーン」の片岡姉妹をご紹介します。(2015年9月に公開)
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