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2017年10月27日のブックマーク (10件)

  • 自家焙煎から始まった世にも恐ろしいコーヒー沼の話 - ソレドコ

    みなさん、こんにちわ。 わたしはコーヒーをあればあるだけ飲んでしまう、そう“ガブ飲み派”です。 そしてもともとはコーヒー嫌いだった夫も、味覚が変わったのか数年前からコーヒーをよく飲むようになり、こちら側へ仲間入り。 ようこそ、コーヒーの世界へ! これで心置きなくガブ飲みできる! 外出のたびにカフェやコーヒーショップに誘いやすくなる! なんて思っていたのですが、夫の持つある特殊能力によって少々目論見が外れました。彼は嗅覚と味覚がやたら鋭いのです。 スタバはおしゃれ。だけど高い 夫はにわか“ガブ飲み派”のくせに、スーパーで売ってる大容量かつ、お値打ち価格のコーヒー豆は「まずい」と言いよるんです。ほいでスタバの豆は「美味しい」と言いよるんです。 じゃあ休日は最寄りのスタバに行くじゃないですか。コーヒーだけだと物足りないからスコーンとかシナモンロールもべたいじゃないですか。はいはいちゃんと人数分

    自家焙煎から始まった世にも恐ろしいコーヒー沼の話 - ソレドコ
  • 「ほぼ日の学校」がはじまる。 - ほぼ日刊イトイ新聞

    ほぼ日刊イトイ新聞が、学校をはじめます。 「古典を学ぶ学校」です。 最初のテーマは「シェイクスピア」です。 糸井重里が長くあたためていて、 ようやくかたちにすることができました。 そこには、河野通和との出会いが なくてはなりませんでした。 それにしても、どうして「ほぼ日」が古典を? 「ほぼ日」がつくる学校って、どんなところ? 糸井重里と、ほぼ日の学校長・河野通和が、 「ほぼ日の学校」について語りました。 ほぼ日の学校がはじまります。 詳しいお知らせの前の予告です。 ほぼ日の学校は、古典を学ぶ場です。 古くて難しいと敬遠されがちな古典ですが、 触れてみれば、奥深い魅力にあふれています。 それを、おもしろく、たのしく学べたら。 この想いを「ほぼ日の学校」と共有してくださる いろんな分野で活躍中の講師の先生たちと一緒に 古典の醍醐味を味わいつくす学校をはじめます。 まずは2018年1月から、毎月

    「ほぼ日の学校」がはじまる。 - ほぼ日刊イトイ新聞
  • 今さらだけど個人使用している「Slack」を有料化したので、その使い心地を話します。 | 株式会社LIG(リグ)|DX支援・システム開発・Web制作

    「自分がなりたいのは画家なのでは?」 と、最近自分の当の気持ちに気づくことができました。今生では絵画能力が壊死しているので、来来来世あたりで頑張りたいと思います。まかり間違ってバックエンドエンジニアまさくにです。 さて、先日、個人で使っている「 Slack 」のアカウントを Standard へ有料化しました。もう RSS とかメールとか呟きとかが溢れてる乱雑な日常に嫌になっちゃって、なんとか整理したかったのがその理由ですが、今のところとても快適で、来世の展望が少し明るくなりました。 ということで、僭越ながら自分がどのように Slack を運用しているかを書いていきたいと思います。 ▼目次 孤独のSlackレシピ 前提と方針 チャンネル作成は注意する 誰かが途中参入する可能性を考える 他サービスと連携する 実際の運用 メモに使おう リマインドしよう IFTTTで必要な情報を集めよう メー

    今さらだけど個人使用している「Slack」を有料化したので、その使い心地を話します。 | 株式会社LIG(リグ)|DX支援・システム開発・Web制作
  • 日経ウーマンオンライン

    2度の挫折越え、22歳で日人女性初の南ア公認サファリガイドに NEW キャリア 2024.02.09

    日経ウーマンオンライン
  • 女性を上手く「褒められない」男の3つの誤解

    想像してください。目の前に職場の女性社員がいます。頭の中で、彼女に対する褒め言葉を3つ投げかけてください。どんな言葉が浮かびましたか? 大抵の人は、次のいずれかではないでしょうか? ・外見:〜が綺麗ですね、可愛いですね ・能力:〜がスゴいですね、仕事がデキますね ・人柄:優しいですね、明るいですね どれも女性が言われて悪い気はしない褒め言葉です。が、凄く嬉しいわけでもありません。オトコがすぐ思いつくような褒め言葉は女性の心に刺さらず、あんまり繰り返されると「ホントにそう思ってる?」とかえって胡散臭さを感じてしまいます。 褒めることは女性と働くうえでの必須スキルだ ボクは、はたらく女性のかていきょうしとして、これまで働く女性への個人コンサルを500回以上やってきました。そこで気づいたのが、女性の心に刺さる褒め方ができることは、女性の信頼を得るための最大の手段であるということ。褒め上手であるこ

    女性を上手く「褒められない」男の3つの誤解
  • 褒められるためのスキルよりも、褒めるスキル、おだてるスキルのほうが大事 - シロクマの屑籠

    togetter.com 借金玉さんのツイートがtogetterにまとめられていた。タイトルは「AD/HDの仕事の進め方について」だが、後半パートには全ての人に役立つことが書いてある。 心に響いたのは以下のフレーズだ。 いいか、圧倒的に自分より優れた人間を褒めるスキルなんてのはいらないんだ。そんなことは誰でも出来る。犬でも猿でも電信柱でも褒め上げるスキルをつけろ。それだけでとりあえず死ななくて済む。— 借金玉 (@syakkin_dama) 2017年1月12日 リピートアフターミー!「承知しました!」— 借金玉 (@syakkin_dama) 2017年1月12日 「流石ですね!」— 借金玉 (@syakkin_dama) 2017年1月12日 「勉強させていただいてます!」— 借金玉 (@syakkin_dama) 2017年1月12日 こういうのって、何歳になっても忘れてはいけない処

    褒められるためのスキルよりも、褒めるスキル、おだてるスキルのほうが大事 - シロクマの屑籠
  • 「努力する人」と「努力できない人」の6つの大きなちがい

    数々の「仕事のできる人たち」は、ほぼ例外なく努力をしていた。 無論、努力をしたからといって成功するわけではない。だが、努力なくして成功はない。努力は成功のための前提条件であり、要件である。 だが、「努力が苦手」という人は少なからずいる。頑張れない、続けられない、「どうしたら努力できるか?」と悩む方も大勢いるだろう。 私は、数々のコンサルティングの現場で数多くの「努力できる人」と「努力できない人」を見聞きし、そして、両者は一体何が違うのかということに強い関心を持った。 その結果、努力できる人とできない人は、「能力」が異なるのではなく「考え方」が異なるのだという結論に至った。 実際、能力の高低にかかわらず、努力を続ける人達がおり、現場ではそのような人たちが結果を出していた。 では、その「考え方」のちがいはどこにあるのか。それは大別すると6つある。 1.努力とは、精神論でなく、方法論である 努力

    「努力する人」と「努力できない人」の6つの大きなちがい
  • 知的であるかどうかは、五つの態度でわかる。

    少し前に訪れた大学の先生から、面白い話を伺った。それは「知的な人物かどうか」という判断の基準に関するものである。 私達は「頭が悪い」と言われることを極端に嫌う。知性が人間そのものの優劣を決めるかどうかは私が判断するところではないが、実際知的であることは現在の世の中においては有利であるし、組織は知的な人物を必要としている。 だが、「どのような人物が知的なのか」ということについては多くの人々の判断が別れるところではないだろうか。 世の中を見渡すと、あらゆる属性、例えば学歴、職業、資格、言動、経済的状況などが「知的であるかどうか」のモノサシとして使われており、根拠があるものないもの含め、混沌としている。 だが、私がこの先生からお聞きした話はそういった話とは少し異なる。 彼は「人間の属性と、知的であるかどうかの関係はよくわかりませんが、少なくとも私が判断をするときは、五つの態度を見ています」 とい

    知的であるかどうかは、五つの態度でわかる。
  • どうして人を褒めることをしない人多いんだろう

    人を褒めるってほぼノーコストで相手のやる気を回復させる魔法みたいなものなのに、 人のことを褒めない人いるよなーと思う。 褒められた側はやる気になるし、褒めた側としてもほぼメリットしかないと思うのだけれど、 やはりみんな悪い部分しか見ていないよね。悲しいなぁ。

    どうして人を褒めることをしない人多いんだろう
  • 才能がない、ということに気がつくということ。

    今って、クリエイティブな仕事に就こう!という風潮が強くて、誰でも学校とかに行けば「そうなれる」かのような幻想が満ちあふれている。恥ずかしながら、自分もそうだった。だから、以下に述べるようなことは自己責任の産物でもある。 押井守さんの『凡人として生きるということ』という新書で、「まず最初は自分には何の可能性もない人間なのだと実感すること」というような記述があったけど、この文には現実認識という意味でも、人生における処世術、という面でも、賛成する。 別に絵が描けなくたって、文章が書けなくたって、それが誰にも認められなくたって、死ぬ訳じゃあないけど、それを自分の心のよすがにしてきた人間には、自分にはその分野で活躍していくような技能も才覚(つまりは才能)がない、と気がつくことはとてつもないショックを伴う。 自尊心を保つために「これは趣味」なんだから、という風に納得してみせたような顔をするのも、何か自

    才能がない、ということに気がつくということ。