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ブックマーク / michiaki.hatenablog.com (2)

  • 派遣村に流れ着いた人が最初に考えるべきだった、たったひとつのこと。 - 「で、みちアキはどうするの?」

    「自分はなんのために生きているのか?」 いやまぁ、「そんな哲学で腹はふくらまねーよ」と仰りたい気持ちは重々承知ですが、ちゃんと説明しますよ。ふたたび、こちらのエントリからコピらせていただきますね。 すくらむ : 派遣村バッシングの背景にある根強い自己責任論 - 人の生存より市場原理優先の新自由主義は退場を 雨宮 しかし、「自己責任」論で、社会より自分に怒りが向くように刷り込まれてしまっているといえます。「社会のせいにするのは弱い人だ」とか、「問題をすりかえる人だ」というような言説がまかり通っている。 小森 メンヘラー(心を病み、壊れることによってやっと生きのびる人※雨宮さんによる定義)の若者や貧困にさいなまれている人たちが、「自分は生きていていい」と思えない社会になっている。 そして、どんなに理不尽な要求であっても、企業が要求してくることを、とにかくこなしていかないと、生きていくための最低

    派遣村に流れ着いた人が最初に考えるべきだった、たったひとつのこと。 - 「で、みちアキはどうするの?」
    graph
    graph 2009/01/09
    目的とか手段とかどうでもよくて「語りえぬもの」だからこそ必然的に肯定すべきもんなんじゃないかなあ
  • 「で、みちアキはどうするの?」 - 「倫理的に正しいことは本当に正しいのか」

    ……というような検索wordsがアクセスログに残っていました。それでこの日記をリストアップするとはGoogle様もシャレがキツいよな。まぁせっかくですので、ちょっとお答えしてみたいと思います。 まず、「正しさ」という概念ですが、これは、世界をちいさな「箱」に区切らないと出てこないもの、なんですね。だいたいの人においては、箱のおおきさは、空間的には身の回りや近所〜自分の国ぐらい、時間的には自分の生まれたころ〜死んだすこしあと、ぐらいになっていると思います。風が吹けば桶屋が儲かる、ではないですが、なにかコトが起きたときの影響の連鎖は、追っていけばいつまでもキリがないんです。だから、ある程度のところで区切るしかない。そうすることでやっと、(「箱」のなか限定の)「正しさ」が見えてくる。なにが正しいのか判断ができるようになる。しかし、「箱」の中では直線に見えたものも、箱から飛び出した先をずっと追って

    「で、みちアキはどうするの?」 - 「倫理的に正しいことは本当に正しいのか」
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