蓑虫山人、本名は土岐源吾。虫の蓑虫が家を背負うように折りたたみ式の幌(テントのようなもの)を背負い、幕末から明治期にかけて全国を放浪した絵師。美濃国(これも蓑虫の名前にかかっている)、今の岐阜県安八郡結村で生まれ、64歳で名古屋の長母寺にたどり着き、半年後、近くの別のお寺に風呂を借りに行き、風呂上がりに昏倒しそのままこの世を去った。享年65歳。脳溢血だったのだろう。 蓑虫(親しみを込め、こう呼ばせていただく)との最初の出会いははっきりと覚えていない。しかし、縄文好きの中では「知らない人物」ではない。東北の縄文を見に行ったり調べたりすると、たまーに、目の端に蓑虫の描いた土偶の絵がちらちらして、なんだかこの土偶かわいいなぁと思っていたりした。そんなわけで、実は気になる人物でもあったのだ。 数年前、縄文ZINEに写真を載せてもらう依頼をするために、写真家の田附勝さんと新宿の喫茶店フォーレストで打