【写真】2002年3月22日、MGMグランドガーデンアリーナ。マッハの控え室の模様を取材したく、僕は中尾受太郎のセコンドとしてネヴァダ州アスレチックコミッションにセコンドライセンスを申請、年間50ドルほど支払い、無事バックステージに入ることができた。思えば良い時代だった。 ※本コラムは「格闘技ESPN」で隔週連載中の『10K mile Dreamer』2011年11月掲載分に加筆・修正を加えてお届けしております 文・写真/高島学 UFC世界王座に日本人が一番近づいた日は、2002年3月22日だと今でも思っている。 人によっては、その翌年の2月28日に宇野薫が、BJ・ペンと世界ライト級王座決定戦を行った試合の方が、より世界に近かったという意見を持っているかもしれない。 確かに宇野とBJの試合は、ドローだった。ただ、事前の期待値の高さでいえば、桜井マッハ速人がマット・ヒューズの持つUFC世界ウ