流血当日「対中非難限界」 人権意識低い外交―天安門事件文書 2020年09月20日07時40分 宇野宗佑元首相=1989年7月、東京 中国人民解放軍が市民に発砲し、北京市街が流血の惨事に見舞われた天安門事件。事件当日の1989年6月4日、東京の外務省は早くも「我々の対中国非難にも自ら限界あり」と明記した文書を作成していた。中国対応が焦点となった同年7月中旬の仏アルシュ・サミット(先進7カ国首脳会議)に至るまでの外交文書を読むと、「中国を孤立させない」外交を優先し、人権意識の低さが際立った。 「人権軽視外交」検証を 天安門事件外交文書 ◇「中国の国内問題」 6月4日付文書「中国情勢に対するわが国の立場(主として西側向け)」。武力鎮圧で多数の死傷者が出たことに「人道的見地から容認出来ない」としつつ「我々とは政治社会体制及び価値観を異にする中国の国内問題。従って、我々の対中国非難にも自ら限界あり