遠藤がレギュラー奪取に奮闘していた昨冬、旧知のテレビディレクターが偶然リバプールを訪ねていた。観戦のつもりが、予期せぬ密着取材が始まって――移籍後の初タイトルがかかるカラバオカップ決勝(日本時間2月25日24時)を前に、日本代表キャプテンがこぼした本音と素顔を、全3回にわたってお届けする。
若い競馬ファンの間で「馬主になりたい」という人が増えているという。雑誌や競馬情報サイトなどでおこなわれているPOG(ペーパー・オーナー・ゲーム)の影響もあるのだろうか。POGとは、参加者がデビュー前の2歳馬をドラフト方式で指名し、期間内(概ねダービーが終わるまで)に稼いだ賞金をポイントに換算して順位を競う、仮想馬主ゲームである。POGにはある程度の知識が必要だが、人気ゲーム「ウマ娘 プリティダービー」で競馬を知った初心者でも、馬主に興味をもつ人もいると聞く。 では、ほんとうの馬主になるにはどうすればいいのか。 宝くじで何億円当たっても馬主にはなれない 答えは簡単だ。金持ちになればいい。ただし、少なくとも何千万円、場合によっては何億円もの金を自由に使えるぐらいの金持ちだ。
常に温厚、完全無趣味? いえいえ、そんなことはありません。 二刀流を最も間近で支える男が語る、翔平青年の意外な素顔。 ◆◆◆◆◆ 検査の結果、初めてトミー・ジョン手術を勧められたときにはさすがに僕もショックで、落ち込みました。6月から翔平が6週間のリハビリを頑張ってきて、ブルペン、実戦形式のピッチングを経て、まだ(9月2日の)1試合に投げただけなのに、靭帯はこんなに悪化しちゃうものなのかと……本人もきっとショックだろうなと思って、ふと見ると、いつも通り、ニコニコしてるんです。ああ、翔平はどこかで覚悟していたのかな、と思いました。だったら僕がクヨクヨしてる場合じゃないし、切り替えなきゃと思って、提案されたいろんなプランを訳して伝えました。来年はバッター一本で行くことになるかもしれないという話に、翔平は「それはそれで楽しみですね」と言っていて、そこはちょっと救われた気がしましたね。 翔平は僕よ
決して簡単な決断ではなかった。 2021年5月21日、DFタビナス・ジェファーソンのフィリピン代表選出が発表された。同時に、タビナスは日本代表になるという夢を断念することになった。 J2水戸ホーリーホックで若きDFリーダーとしてプレーする22歳は、フィリピン人の母とガーナ人の父を持つ。母親とはタガログ語で、父親とは英語で話す一方で、家の外に出れば常に日本語でコミュニケーションを取る。小さい頃からこの毎日がタビナスにとっては当たり前だった。 「小学校に入るまではみんな2つくらい言語を話せるものだと思っていたら、同じハーフの子でも日本語しか話せないことに衝撃でしたね」 小学生になると、徐々に自分が周りの人たちと違うことに気づく機会が増えた。肌の色が黒いことや、漢字が入っていない自分の名前に違和感はあったが、家族は円満で学校生活も楽しく過ごしており、それはあくまで“ちょっとした違和感”に過ぎなか
史上最年少でデナリ(6190m、米アラスカ州)の冬季単独登頂を果たした世界的な登山家、栗秋正寿(48)が、事実上の「引退」を表明した。九州工業大の山岳部時代の後輩である河原畑健の言葉が忘れられない。「結婚と子どもの誕生は山を辞める二大チャンス。でも栗秋さんは結局、(山へ)行っちゃいましたからね」。一流の登山家たちは命を落としかけても、再び、何事もなかったかのように山へ向かう。彼らが山を辞めるとき――。それは命を落としたときなのではないか。そんな不吉な思いにかられることがある。栗秋も同じだった。しかし、栗秋は無論、まだ生きている。彼はなぜ山を辞める決断をしたのか。きっかけは、2016年の人生初の遭難だった。(全3回/#2、#3へ) 「救助を要請するときは山を辞めるとき」 ――2016年4月、栗秋さんは、アラスカ州のデナリ国立公園にあるハンターという山で遭難し、救助されました。アラスカの山中で
中日に押し寄せる年波。それが今季、チームの功労者たちの引退、退団という顕著な形となって現れた。 選手生活に別れを告げた44歳の谷繁元信兼任監督をはじめ、43歳の和田一浩、41歳の小笠原道大の2000本安打達成者。4度の2けた勝利を記録した34歳の朝倉健太も引退を決断し、常勝期に絶対エースだった40歳の川上憲伸の退団も決定している。 だが、なによりも球界を驚かせたのが、山本昌が引退を決断したことだ。 山本昌は9月25日に更新された自身のブログに、<若返りを推進しているドラゴンズの現状を目の当たりにして、ボクが残ったらダメだと強く感じ、引退を決めました>と、その心中を綴っている。 通算219勝。41歳1カ月でのノーヒットノーラン、49歳0カ月での勝利、そして、32年にもわたる現役生活……。球界のレジェンドは数々の最年長記録を打ち立てた。 今年で50歳。節目の年齢で引退、と決断するのもありではあ
コスタリカが、“死のグループD”突破一番乗りを決めた。 ウルグアイを破った初戦に続いて、20日のイタリア戦でも金星を上げ2連勝をおさめ、'90年イタリア大会以来の決勝トーナメント進出を決めた。 グループDに集まった3つの優勝経験国にとって、コスタリカは通過争いから外れたアウトサイダーのはずだった。 「醜態だよ。1年前の(コンフェデレーションズ杯)日本戦のようだった。暑さのツケを払わされた」 0-1で敗れた試合の後、イタリア代表監督プランデッリは、苦々しい表情で振り返った。 イタリアに油断があったとは考えにくい。ウルグアイ相手に波乱を起こしたことで、かえってコスタリカへの警戒は強まっていた。 パスサッカーにこだわり続けたプランデッリだったが……。 4年前の代表監督就任以来、プランデッリには“スペイン流のパスワークとイタリア流の縦への速攻”というテーマで、新世代のイタリア代表を作り上げてきた自
「前の試合と同じ。先に失点したので課題が残りますね。まだビデオを見ていないので何とも言えないですけど……次までに修正しないと」。試合後、淡々とコメントした本田。 米国最後の夜はW杯グループリーグ初戦のコートジボワール戦に大きな不安を残すものとなってしまった。 6月6日、“仮想コートジボワール”ザンビアと対戦したザックジャパンは、コスタリカ戦に続いて立ち上がりに先制点を奪われる苦しい展開。打ち合いの末に4-3の逆転勝利を収め、昨年11月のベルギー戦から続く連勝を5に伸ばしたものの、守備の課題が改めて浮き彫りになる内容にチームの誰もが危機感を見せた。 得点しても、勝利しても……笑顔を見せない本田。 西日の残るレイモンド・ジェームススタジアムには7275人の観衆がいた。スタンドではため息と歓声が交互に響いていたが、ピッチに流れる空気は最後まで完全に晴れることはなかった。 2点を追う前半40分、P
世界選手権、羽生結弦のショートプログラム前に客席からかけられた声援が話題になった。とはいえ、全体として日本のフィギュアファンの応援態度は世界から賞賛を浴びている。 「すごく緊張したけれど、日本の人たちが2011年から世界選手権の開催を待っていてくれたことを思い出した。その観客の皆さんの思いが伝わってきて、私の演技を後押ししてくれたんです」 カロリーナ・コストナーは女子SP終了後の会見で、そう語った。 確かにさいたまスーパーアリーナの観客の熱狂的な声援は、通り一遍のものではなかった。日本選手への応援は当然としても、彼女たちの強力なライバルであるカロリーナ・コストナー、ユリア・リプニツカヤ、グレイシー・ゴールドらにも、観客たちはごく自然にスタンディングオベーションを捧げ、氷上にも多くの花束が投げ込まれた。 何種類もの国旗を持参する日本のファンたち。 さらにカナダの選手にはカナダの国旗、ロシアの
監督とはとかく批判されるもの。ファンから続投を望む声があがることはそう多くない。中畑監督はその声とどう向き合い、どんな結論を下すのだろう。 CSを逃せばこうなることは覚悟していた。 9月24日、阪神に6-1で敗れたベイスターズはクライマックスシリーズ進出の望みが絶たれ8年連続Bクラスが決定。3位どころか、気が付けば最下位も見える状態となった。 試合後の囲み取材でCS消滅を報道陣に問われた中畑監督は、「それに向けて頑張って来たけど、力及ばず。私を含めチーム全体の力が及ばなかった。私の中で決意を持って挑んだシーズン。やるべきことをやってきた。最後まで責任を全うしてその後は考えられない。来季のことは考えていない」と言い、来季続投の意思があるかを問われると、「まったくの逆。責任を取らなきゃいけないと考えている」と今季限りで辞任する考えがあることを示唆した。 昨年10月8日。横浜スタジアム最終戦。試
サッカー漫画の金字塔である『キャプテン翼』。 大空翼が欧州で出会う最大の好敵手が西ドイツの“若き皇帝”だ。 大人気漫画の作者がストーリーを構想した当時を振り返り、 名キャラクターが生まれた背景を明かした。 ブンデスリーガを特集したNumber835号より、高橋陽一先生が ドイツサッカーの魅力を語りつくした特集を全文掲載します! キャプテン翼を描き始めるきっかけとなったのは、1978年のW杯、アルゼンチン大会をテレビで観戦したことでした。 ちなみにこの大会では、ジーコやプラティニなどが脚光を浴びています。だからこそ私も翼を10番の選手にしたわけですが、一方では西ドイツ代表のFW、バイエルンに所属していたカール・ハインツ・ルンメニゲにも強烈なインパクトを受けました。そこでジュニアユース時代の翼の物語にも、カール・ハインツ・シュナイダーというドイツ人の若手を登場させることにしたんです。シュナイダ
「まぁ今日の試合は完敗なんで。自分たちの実力をちゃんと認めて、あとの2試合を頑張るしかないですよね」と、試合後の悔しさを内に秘めつつも、淡々と語っていた本田。 歓喜するブラジル代表の面々を前に、ザッケローニは立ち尽くしている。その少し後ろで、本田圭佑はひとりベンチに座って呆然とピッチを眺めていた。 「怒りというよりも、失望の気持ちの方が大きい」 指揮官は堅い表情でそう語り、本田は「完敗」と、ブラジル相手に0-3と歯が立たなかったことをあっさり認めた。 10月のポーランドで喫した0-4の大敗から8カ月。親善試合とは違う、真剣勝負の舞台でブラジルと再戦した日本にとって、コンフェデレーションズカップ初戦は世界との差を確認する場でもあった。しかし縮まったのはわずかな点差だけで、内容ではその差はさらに広がっているようにさえ感じられた。 長友佑都は言う。 「レベルが違いました。すべてにおいてのレベルが
5月26日のオリオールズ戦で逆転のヒットを放ち、ファンの声援に応える川崎宗則選手。ここまで(6月5日現在)の成績は打率.214と無安打が続き低迷している。正遊撃手のレイエス選手の復帰も迫り、正念場に立たされている。 「サンキュー ベリー マッチ。マイ ネーム イズ ムネノリ カワサキ。アイ アム フロム ジャパン。アイ アム ジャパニーーーーーズ!!!」 5月26日のオリオールズ戦。チームをサヨナラ勝ちに導く決勝2点ツーベースを放ち、ヒーローインタビューに登場したブルージェイズの川崎宗則選手が発したこのフレーズは、日本はおろか全米中で話題となった。 ESPNなどのスポーツ番組で取り上げられる一方で、MLBの公式サイトでもビデオとしてアップロードされ、さらにYouTubeなどでも公開され、瞬く間に人々の心を掴んでいった。 これ以降、川崎の認知度は全国規模で急上昇し、今や遠征先でもファンから声
昨季の9月1日から続いていた大宮のJ1連続無敗記録は5月11日に「21」でストップしたが、その勢いは衰えず前半戦首位を確保している。 日本代表のブラジルW杯最終予選とコンフェデ杯のために1カ月の中断に入ったJ1リーグだが、前半戦は春の嵐が吹き荒れた波乱の展開となった。 万年残留争いだった大宮アルディージャが優勝候補の浦和レッズ、鹿島アントラーズ、サンフレッチェ広島らを抑えて、まさかの首位に立ち、戦力ダウンで苦戦必至と言われていた横浜F・マリノスが浦和と得失点差による3位と健闘。一方、2010年のリーグ覇者の名古屋グランパスは14位と低迷し、前田遼一、駒野友一、伊野波雅彦ら日本代表3人を抱えたジュビロ磐田は、13試合でわずか1勝しかできず17位に沈んでいる。 春の嵐は、なぜ吹き荒れたのか。 大宮と横浜FMは、ともに守備は堅かったが、得点力不足が深刻な課題だった。だが、今シーズン、大宮はカウン
'90年代、松井を主軸に据えた長嶋巨人軍に、大きな壁として 立ちふさがったのが、「ID野球」の野村ヤクルトだった。 稀代の知将が感じた2人の凄み、そしてその攻略法とは――。 長嶋茂雄と松井秀喜がそろって国民栄誉賞を受賞した。 野球界では王貞治、衣笠祥雄につづく受賞である。ジャイアンツという人気チームでつねにファンとマスコミの大きな注目を集め、それに応えるプレーを見せてきた長嶋。その長嶋に手塩にかけて育てられ、メジャーリーグでも名門ヤンキースの中心として活躍した松井。国民栄誉賞がどんな基準で与えられるのかは、私などにはわからないが、ふたりの受賞は多くの人が納得するものだろう。 人づてに聞いたのだが、ふたりの受賞が決まったとき、「残した数字でいうなら野村にも賞を与えてよいのではないか」という声があったそうだ。私自身はとても賞に値するなどとは思っていないが、こうした声をいただけたのは名誉なことだ
もはやレッドソックスのベンチ内での名物と言ってもいい、上原浩治投手のハイタッチ。笑顔でベンチ内のムードを盛り上げる。 メジャーリーグの開幕から3週間。今シーズンは開幕から日本人投手たちの活躍が目立っている。その中でここまでのMVPを選ぶとするならば、今年からレッドソックスに移籍した上原浩治投手を挙げたい。 もちろん読者の中には異論もあるだろう。 例えば、勝利数、防御率ともにア・リーグのトップ争いをしているレンジャーズのダルビッシュ有投手はもちろん、ここまで抜群の安定感を誇るマリナーズの岩隈久志投手の存在も捨てがたいのは事実だ。ただチームに及ぼす影響力という面では、現在、激戦区のア・リーグ東地区で首位を走るチームへの上原の貢献度は計り知れないものがあることを忘れてはならない。 岩隈やダルビッシュのような先発投手ではなく、またセーブ機会に登板する抑え投手でもない、“中継ぎ”の上原が、日本で大き
決勝戦でプエルトリコを破り、見事世界一となったドミニカ。ドミニカの国全体でその勝利は祝福されたという。 第3回WBCは、ドミニカ共和国が8戦全勝という完全優勝で“世界一”の座を獲得し幕を閉じた。 これまで過去のWBCについて論じてきた際は、この大会の本質を鑑み“世界一”という表現を使うことに躊躇してきたが、実は今大会から『WBC王者』のみならず『IBAFワールドチャンピオン』という称号が加わったのだ。つまり今回からWBC王者は、正式に国際野球連盟(IBAF)が認める世界王者、つまり“世界一”の栄冠を与えられたというわけだ。 だからといって大会そのものの本質が変化したわけではない。過去の大会同様に、ほとんどの選手たちはWBCに照準を合わせて調整しておらず、その多くの試合内容はオープン戦の延長でしかなかった。2次ラウンドで敗退した米国のジョー・トーリ監督が優勝を目指すと公言する一方で、結局最後
身振り手振りをまじえ、野洲高校の生徒たちを教える岩谷。冬の全国高校サッカー選手権大会は、今年で2年ぶり8回目の出場となった。 今年の全国高校サッカー選手権で、個人的に注目している高校がある。滋賀県代表の野洲高校だ。 野洲といえば、2006年の高校選手権の優勝を思い出す方が多いだろう。高3に楠神順平(川崎フロンターレ)、高2に乾貴士(フランクフルト)を擁し、高校サッカーでは異例の魅力溢れるスタイルで初優勝を成し遂げた。 当時、セクシーフットボールというキャッチフレーズもさることながら、野洲を率いる山本佳司監督の経歴も話題を集めた。元々レスリングの選手だったが、ケルン留学でヨーロッパのサッカーに魅了され、サッカー指導者の世界へ。教員として赴任した野洲で次々に改革を実行し、無名の公立高校を日本一に導いた。山本著の『野洲スタイル』に、詳しい経緯が書かれている。 野洲高校優勝のもうひとりの功労者、岩
2010年11月場所に新十両へ昇進し、高安と共に初の平成生まれの関取となった。一時、母の母国フィリピンに住んでいたため、英語、フィリピン語に堪能。身長181cm、体重178kg。 相撲をあまり見ない人がいま本場所に連れて行かれたら、どの力士が印象に残るだろう。横綱を別にすれば、前頭4枚目の舛ノ山など、ちょっと忘れられない印象を与えてくれるのではないか。 顔も体もともかく丸い。びっしり実が詰まったスーパーボールみたいな体つきだ。相手に取られないように、きつく回しを締めているので、よけいに上半身がぎゅっと詰まり、丸っこく見える。この外見だけでもかなりイケてるのに、動き出すとさらに目を楽しませてくれる。とにかくせわしないのだ。 いつもなにかに急き立てられるように動いている。突き押しを武器にし、四つに組んだ長い相撲は避けたいので動いているのだろうが、悠揚迫らざるといった幕内力士の風情はなく、夕方の
スポーツメーカー「JAKO」のユニフォームを着てピッチに向かうフランクフルトの乾貴士。JAKOはブンデスリーガ以外にも、ベルギーやオーストリアなど様々な国のチームと契約を結んでいる。ナショナルチームでは、ヨルダン、ルクセンブルク、モルドバが使用。 「フランクフルトがどん底にいたとき、JAKOは手を差し伸べてくれた。他の会社が年間10万ユーロ多く払ったとしても、私たちはパートナーを変えない」 ヘリベルト・ブルフハーゲン(アイントラハト・フランクフルト会長) ブンデスリーガを取材していて、ずっと不思議に思っていたことがある。『JAKO』(ヤコ)というスポーツメーカーの存在だ。 初めてJAKOの名前を意識したのは、2006年夏、高原直泰がハンブルガーSVからアイントラハト・フランクフルトに移籍したとき。フランクフルトにユニフォームやトレーニングウェアを提供していたのがJAKOだった。 その1年後
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