相模屋食料の社長・鳥越淳司氏は京都・西山のふもとで育った。 戦国時代、明智光秀が主君、織田信長を襲うため「敵は本能寺にあり!」と山を下った、そのあたりに実家があるという。今でこそ、おとうふの業界を一変させる存在と注目される鳥越だが、彼は小学校低学年のころは、「ガキ大将チームの端っこにいる子で、目立つこともなく、友達も少なかった」と言う。 ところが、小学校4年生の時に、彼の世界観が変わるできごとがあった。 「学級委員を決めることになった時です。誰も立候補しなかったので、恐る恐る『なら僕が』と手を挙げてみたんですね。『誰も賛同してくれなかったら嫌だな』なんて思いながら(笑)」 特に否定されることもなく、彼は学級委員になった。 「それまで『学級委員など僕にできることじゃない』という前提で考えていたんです。でもこの時から『できるじゃん』、なら、いろんなことを『とりあえずやってみよう』と考えるように