これは理性的な評論の対象にはなりえない話だろうと思う。超えてはならない何かを飛ぶとき、人は得てして心に神を宿すのであり、そこには日常生活の経験や知見の延長線上にはない超越があるからだ。 空飛ぶパンツのようなもの http://d.hatena.ne.jp/nojiri_h/20091019/1255916165 よく意味論の話に陥りがちになるけれども… ある事象があり、それを表現したら、それを受け取った人がまったく違う意味を感じ取って、別の事象へと昇華させるサイクルのアレだ。悪く作用すれば伝言ゲームになるし、ポジティブフィードバックされれば無限の表現を創出する礎にもなりうる。 しかし、今回の素材は空飛ぶパンツである… そこから群鳥の生きる力を感じ取り、そこから普遍的で永久の価値であるべき生存本能を喚起して実体表現で自らの感性を結集させようというのは、如何したものだろう。もちろん、そこに理性
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