2010年9月11日のブックマーク (1件)

  • 姜維は天水の人ではない - てぃーえすのメモ帳

    姜維字伯約、天水冀人也。 (『三国志』姜維伝) 三国時代の姜維といえば、天水郡冀県の人と『三国志』に記されている。 しかし、実は彼は天水郡の人ではない。 漢陽郡。武帝置、為天水、永平十七年更名。在雒陽西二千里。 (『続漢書』地理志五) 天水郡は漢の武帝の時に置かれたのが始まりで、後漢明帝の永平十七年に天水郡から漢陽郡に改名している。 天水郡。漢武置、孝明改為漢陽、晉復為天水。 (『晋書』地理志上) 漢陽郡が天水郡という旧名に戻るのは、晋の時代になってからであるという。 つまり、後漢末から魏の時代にかけて、天水郡は存在しない。 冀県が属する郡は天水郡ではなくて漢陽郡と呼ぶべきなのだ。 『三国志』は晋になってから完成しているので、当時の正式名称に従えば姜維の出身は「天水郡」でも間違いではない。 しかし、人や三国時代の人間たちにとって、姜維の出身は「漢陽郡」であったはずなのだ。

    姜維は天水の人ではない - てぃーえすのメモ帳
    gureneko
    gureneko 2010/09/11
    この種の歴史的知識は、まともな歴史小説家ならば、歴史学者以上に知っておくべき。