仏教の何たるかはわからない。宗教もおそらく把握していなかった。しかし結果的には、考えられるあらゆる宗派に一度は顔を出した。そうした巡航に疲れ、そ うした巡りに疲れ、そういう中にあってチャンネルを回したとき。画面の中央になにやら大きな白い椅子に座って、この人物がいた。多くの宗教者が、浅薄な台 詞でテレビアピールに余念がない中、この男の言葉は迷いがなかった。白いクルタ(というのだと後から知った)に包まれた不機嫌そうな顔を見つめた。何か見 てはいけないものを見たような気がした。聞けば「朝まで生テレビ」の放映直後に入信した信者が多かったと、ずいぶんたってから知った。それもうなずけた。 あの時自分が感じた「この人物は本物だ」と思ったあの感覚。今思い出すと身震いのするような不思議な感覚を事件後、僕は忘れようと努めた。その「本物」感とは今思えばいったいどんな「まがいもの」だったのだろう。 そして。 拭う