経営破綻寸前の超底辺高校の生徒2人が様々理由から東京大学を目指す、というストーリーで、TVドラマ化や小説化なども成し遂げた受験漫画の代表的作品です。 特に「底辺高校の生徒が1年で東大に合格」というストーリーのインパクトは強く、「受験のシンデレラ」や「ビリギャル」など多くの後続作品を生み出したり、作中で紹介された受験テクニックを元にした参考書が出版されたりと、社会的にも多くの影響を与えました。
「うちら」の世界 — http://lkhjkljkljdkljl.hatenablog.com/entry/2013/08/06/155425 私のいる世界 — http://luvlife.hatenablog.com/entry/2013/08/07/221155 「低学歴」って言うな。— http://d.hatena.ne.jp/Rootport/20130810/1376143977 SNS炎上と"低学歴の世界"の構造を分析。 — http://togetter.com/li/545991 ここ最近、「低学歴の世界」というワードを目にする機会が増えました。発端となったブログの内容と、自分の周りで議論されている内容、そして自分が考えていることは方向性が違うのですが、その「低学歴の世界」のあり方や「高学歴の世界」との関係、溝、そしてネーミングそのものが議論の対象になっているので、自
ネットでバカを晒す若者の話から始まって、先週は「低学歴/高学歴」話が盛り上がっていた。バカを晒す行為を学歴の高低で語るのはどうか、そういうことは学歴の高い層の中にもあるという話もあった。つまり「うちらの世界」的なものは学歴を問わずあると。 たしかに学歴の高低と「バカ」を関連づけても、あまり面白い話にはならない。にも関わらず多くの人が学歴話で盛り上がったのは、学歴の違いによる(と思われる)文化の違いがどこかにあるからだろう。その違いや溝が具体的に見え、それについて言葉を紡ぐことができるのは、比較的学歴の高い人が多いということなのだろう。 文化間の溝は昔は貴族文化、武家文化、町人文化というように階級の違いで説明できた。そして階級がなくなりそれぞれの文化がある程度混ざり合ってきた以降の時代も、厳然としてハイブロウ、ロウブロウといった文化の溝は残った。それは都市と地方の違い、もっと言えば都会者と田
低学歴と高学歴の世界の溝 大変話題になっている上記の文章ですが、本題からそれるけど気になっていることを書きます。特に、大学の先生に考えてもらいたいことです。 私もこの増田の人ほどではないけど、両親・おじおばに四大卒はいません。同世代のいとこで四大卒はいるけど少なく、高卒が大半。そんな中で私と弟だけが国立大に進学し、私は大学院まで行きました。 言いたいのは、そういう家庭出身で、特にレベル高めの大学に入って、いきなり「大学は自分で学ぶところ」とか言われて放り出されるのはつらいということです。 高校までは参考書・問題集・塾などがあるし、問題が解けないというレベルなら先生に聞いて解けるようになることはできました。でも、大学に入って、レポートというのはどういう風に書くべきか、図書館でどう調べるか、研究とは、論文とはどういうものか、とか、ただでさえ難しいのに、それを「自分で学べ」と言われるわけです。私
(注)本日のエントリは、当初記述した文面から一部修正(8/12)を行っております。 理由は、性的に露骨な表現があるとのご指摘をいただいたためです。 と思ったけどやっぱ戻した(2014/3/9) 最近話題になっているこちらの記事(私のいる世界)やこちらの記事(低学歴と高学歴の世界の溝)を読んでとても懐かしくなったので私も身の上話を書いてみます。 まあ、高学歴の世界と低学歴の世界と言う風に学歴で割るのが良いのかどうかという問題はあるにせよ、象徴的にうまく言い表しているので、ひとまずその表現に従います。 私の場合は、たぶん、「高学歴の世界」の住人でした。親はどっちも一応有力国立大学を出て、父は大企業のサラリーマン、母は専業主婦。最終的には私もそこそこの大学を卒業しましたし、子供のころは家にピアノもありました。習い事とかも一通りさせてもらったと思います。なお弟は地元で医者をしています。 で、私の育
両方共判るけど、溝は決して広くないと思ってたよ。ちなみに横須賀市出身ね。 ギャンブルだろうが高尚な趣味だろうが、結局趣味だから何も変わらないよ。自分自身をどう上げるかってだけ。 DQNとも深く付き合えばわかるけど、あれはあれで高みも低めもある。ちゃんと礼儀をわきまえたり、仕事の手順を頭で解きほぐして整理・理解する能力も求められる。人をまとめる能力も必要だ。 そしてそこには、DQNも高学歴もそこまで差はないよ。 収入の金額さえ、きちんと上を見てるDQNは稼いでる。 DQNの質の差かも知れないね。俺の周りのDQNは左官かヤクザ。 高学歴は、住んでる世界として、ある程度の知識が求められる分野だけど、知能自体はDQNだって、持ってる人は持ってる。きちんと考えないとドツボにハマる世界だから、普段から頭を回してる。勉強したかしなかったかの差しかないし、どっちも自分の世界にしてる俺にとっては、両者にはそ
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ひくい道 そこを歩くよ わたしたち 高い土手の向こう 見たことなくても ここは退屈迎えに来て 作者: 山内マリコ出版社/メーカー: 幻冬舎発売日: 2012/08/24メディア: 単行本購入: 9人 クリック: 100回この商品を含むブログ (50件) を見る コメントで教えてもらったこの本、買った。 表紙がすごい好き。 最近のいろんなお店で起こるおバカな事件とネットの炎上のことで、いろいろ記事読んだ。 「低学歴の世界」って言葉が一番心に残った。 この言葉みた時、自分の居場所ってすとんとわかった気がした。 私はその世界にいるから。 はてなの中で感じてたなんかの違和感って、私ははてなの空気と違う「低学歴の世界」の人間だからなんだ、って思った。 私もそうだけど、私の友達もだいたい「低学歴の世界」の人間。 高校卒業してない子もいるし、義務教育の時だってまともに学校に行ってない人もいる。 私も学校
気品のあるメインラウンジ=銀座BRB提供 慶應義塾大学は卒業生のつながりが強いイメージがあるだろう。それは、福沢諭吉の「卒業生を大切にする」という精神が長年受け継がれているためだと言われている。そこで今回は、慶應義塾の卒業生(以下、塾員)を中心とした会員が集う「銀座BRB」(以下、BRB)で、事務局代表を務める野田和敬氏に話を聞いた。 BRBがオープンしたのは1982年。BRBという店名は、「Blue Red & Blue」の略称で、慶應義塾の校旗である三色旗に由来する。塾員相互の交流、さらに慶應義塾と塾員との架け橋となることを目的に、その機会と場を提供するために設立された。また、慶應義塾独自の用語で「社中」と称される、塾員、現役学生、慶應義塾の教職員(以下、塾教職員)の三者をつなぐ場にもなっている。 BRBは会員制のクラブハウス。入会資格は塾員と塾教職員に与えられている。現在の会員数はお
社会的地位の高い人たちが、口を揃えて言う。 「子供を私立の小中学校に入れましょう」 どんなにレベルの低い私立でも、治安や進学率という点で公立校に比べればずっとマシだ。彼らの発言の根底には、自分の子供だけしあわせならそれでいい、という自己中心的な価値観がある。教育が「社会」の質を底上げするという大局的な視点が欠けているのだ。我が子がどんなに輝かしい学歴を手に入れても、世の中全体がめちゃくちゃになっていたら意味がない。公教育の質が悪いと嘆くのなら、その質をどう高めるか考えるべきだ。 「私学礼賛」はキモチ悪い。 「うちの子だけは……」という自己中心的な親たちがキモチ悪い。 なにより私学では、現代人としていちばん大切なものを学べない。 ◆ 白状すると、私学礼賛をキモいと感じるのは、自分の個人的な事情のせいだと思っていた。私は入口から出口までずっと公教育を受けてきた。家計的に私学に通わせてもらえる余
再生産される学歴 鳩山和夫(東京帝国大学教授・早稲田大学総長)→鳩山一郎(東京帝国大学卒)→鳩山秀夫(東京帝国大学卒・同教授)・鳩山威一郎(東京帝国大学卒)→鳩山由紀夫(東京大学卒)、鳩山邦夫(東京大学卒) <政治家・教授を多数輩出してきた鳩山家の家系と学歴。→は親子関係を示す> これは君のことを話しているのだ。 この注意は読者に向けられていると同時に、社会学者にもまた向けられている。逆説的なことであるが、文化のさまざまなゲームは、そこに巻き込まれた人々が互いに相手を客観化しようとして行うあらゆる部分的な客観化行為のおかげで、かえってそれら自体は客観化されることから免れるという仕組みになっている。 だから学者たちは、自分自身の真実をつかむことをあきらめるのでないかぎり社交家たちの真実をつかむことができないのだし、逆もまたしかりなのである。(P.ブルデュー『ディスタンクシオン』藤原書店) エ
Takehiko Kariya, 2010, "From Credential Society to ``Learning Capital'' Society: A Rearticulation of Class Formation in Japanese Education and Society," Hiroshi Ishida and David H. Slater (ed.) Social Class in Contemporary Japan: Structures, Sorting and Strategies, Routledge, 87-113. 日本は学歴社会から「学習資本」社会へと再編され、そのせいで階級間格差も拡大した、という Kariya の信念を表明したエッセイ。学歴社会では労働者の訓練可能性 (trainability) が重要視されたが、臨教審の答申における個
私は子どもの頃から「世界は不自由で不平等で不条理である」という意識を持っていたが、そんなひねくれ者になった原因の1つは、子どもの学力が親の「資力」と「教育意欲」と「文化的素養」に左右され、往々にして学歴は親子間で再生産されるという事実を経験的に知っていたことだった。 私の周りの成績の良い児童は誰もが大学出の裕福なホワイトカラー(具体的には医師、弁護士、宝石商、建築士、教師などだった)の子であり、低学歴で経済的に零細なブルーカラーの子どもで成績が良かったのは私くらいだった。故に、勉強は誰でも努力すればできるようになるという教師の言葉を私は蔑んでいた(実際私は「運」が良かっただけで、「努力」だけでは進学できなかった)。貧乏人の子どもはたいてい下品で、頭も悪かった。そして裕福な連中は言葉にできない「何か」があった。小学生の時にはすでに人間の能力は育った環境によって決定されるという「真理」に到達し
テレビドラマに出てくるような上流階級みたいのがこの世にある、ってことは知ってる。だけどもう全然リアリティないんだよ。 大学なんか行ったことのある奴は、親戚中探したっていない。 同級生には大学進学を考えてる奴もいたけど、そいつんちはウチとは違う。 ウチは金もないし、親も歳だし、早く手に職つけて働かなくちゃ。一生懸命働けば少しはマシな暮しだってできるだろう。 だけどもそれは、階層を上ることとは全然違うことだった。 努力なんて、せいぜい「まじめに働く」くらいの意味だった。 http://anond.hatelabo.jp/20070826235204 この現実にはさらに上に上があって、どこまで行ってもきりがないという事実……。 俺の家なんかは、世間で言えば「エリート一家」なんだろうけど、それでもまだ上には上があるんだな。 親兄弟や親戚は、勤務医や街弁護士や大手メーカーの技術者といったところ。学歴
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