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難民に関するguutarouのブックマーク (10)

  • 社労士 李怜香の多事多端な日常 - バッシングの構造

    _ [社会]バッシングの構造「農業やりたくない」 就職拒否のミャンマー難民夫婦が会見 - MSN産経ニュース 「(農作業は)大変だった。農業はやりたくない」/農作業が早朝から長時間におよび、暑いビニールハウス内で作業する大変さを説明。長男(16)が通っていた夜間中学が遠く、帰りが遅くなることから通学を断念したとも明らかにした。 上にリンクしたニュースを読んで、たいていの人が感じることは「農作業なんて大変に決まってるじゃないか。日に来ればぜいたくできると思って、甘い考えで来たんだろう。おれだって、毎日朝から遅くまで働いていて、子供も遠くの塾まで通って遅くまで勉強してるんだ。甘ったれるんじゃない」というあたりだろうか。 というか、明らかに上のような反応を狙って書いた記事だと思う。発表された内容のうち、この難民の家族に悪意を持って上手に切り取ると、上のような記事ができあがる。そういう意味ではよ

  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    異国の友人たちへ、また会う日まで 2024年ゴールデンウィーク。5年ぶりにウズベキスタン旅行に行ってきたので、旅の模様をデイリーポータルZに綴りました。ウズベク旅行記はこれが3目。 dailyportalz.jp dailyportalz.jp dailyportalz.jp (↑New!) おかげさまでどの記事も多くの方にお読みいただき、…

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  • 資料屋本舗 - 産経新聞、ミャンマー難民の件でミスリーディングひどすぎ

    産経新聞に「農業やりたくない」 就職拒否のミャンマー難民夫婦が会見という記事があった。抄録すると農業は長時間労働で大変だった、難民事業部はがんばれというだけだった、と記者会見で述べたというものである。この新聞記事、確かに嘘はついてない。でも重要な事実を書き漏らしている。その結果このミャンマー難民夫婦の甘えかのように読めてしまうのだ。実際にそう読み取る人が少なくないのはこの記事に付されたはてなブックマークを見ればわかる。「出てけ」などというコメントを付する方もいらっしゃる。 しかし、なのである。この夫婦を支援する難民支援協会が出した申入書を見るとずいぶん違って見えてくる。曰く、訓練は最初は8時から5時まで、土曜休日は休みという条件だったのが土曜日も休みでなくなり、さらに訓練時間もどんどん延長されひどいときには午前4時半からの訓練を要求されたとの事である。結果一週間あたりの訓練時間は60時間

  • ミャンマー人は何故農業をしたくないのか - 水色あひるblog

    「農業やりたくない」 就職拒否のミャンマー難民夫婦が会見 アジア初の第三国定住制度で来日し、千葉県の農場で職業訓練を受けていたミャンマー難民の夫婦が28日、東京都内で記者会見し、「(農作業は)大変だった。農業はやりたくない」と話した。雇用を前提とした訓練だったが、夫婦ら2家族は就職を拒否した。 http://sankei.jp.msn.com/world/news/110929/asi11092900180000-n1.htm 産経新聞の見出しに悪意が感じられます。難民でいるよりはマシなんだから、どんな仕事でも我慢すべきだと、彼らが我儘であるかのように批判するのは酷い話だと思います。気仙沼市で津波に襲われ家も仕事も失った人に向かって「ホームレスになるよりはマシなんだからオマエは農業をやれ。シンドイなどと贅沢言うな。イヤなら壊れた家にでも帰れ。」とは言わないでしょう。難民の皆さんは、ミャンマ

    ミャンマー人は何故農業をしたくないのか - 水色あひるblog
  • 「農業やりたくない」 就職拒否のミャンマー難民夫婦が会見 - MSN産経ニュース

    アジア初の第三国定住制度で来日し、千葉県の農場で職業訓練を受けていたミャンマー難民の夫婦が28日、東京都内で記者会見し、「(農作業は)大変だった。農業はやりたくない」と話した。雇用を前提とした訓練だったが、夫婦ら2家族は就職を拒否した。 会見したのは男性(46)と(48)。農作業が早朝から長時間におよび、暑いビニールハウス内で作業する大変さを説明。長男(16)が通っていた夜間中学が遠く、帰りが遅くなることから通学を断念したとも明らかにした。 支援を行うアジア福祉教育財団難民事業部に対策を求めたが「『頑張れ』といわれるだけで何もやってくれなかった」と話した。 政府は第三国定住として平成24年までの3年間に計90人を受け入れる計画で、29日には第2陣の18人が来日予定。男性は「日に来てよかったか」との質問に「事実を言うとよくない」と言葉を濁した。

  • YouTube - Ghosts of Rwanda

    A history of the Rwandan genocide in which the Hutu Racial extremists the Interahamwe systematically slaughtered the Tutsi people and non-racist Hutu's. Told through documentary evidence and interviews with every major figure involved. A gruesome, grotesque and deeply powerful documentary which tells of the horrors of the events and of the reaction to mass murder by each major Western government.

  • ルワンダ虐殺 - Wikipedia

    ルワンダ虐殺(ルワンダぎゃくさつ、英語: Rwandan Genocide)とは、東アフリカのルワンダで1994年4月から約100日間続いた大量虐殺である[1]。同年4月6日に発生した、ルワンダのジュベナール・ハビャリマナ大統領と隣国ブルンジのシプリアン・ンタリャミラ大統領の暗殺から、ルワンダ愛国戦線 (RPF) が同国を制圧するまで、フツ系の政府とそれに同調するフツ過激派によって、多数のツチとフツ穏健派が殺害された[2]。正確な犠牲者数は明らかとなっていないが、80万人以上[1]や約100万人[3]と推計されており、後者であればルワンダ全国民の20%に相当する。 NGO「セボタ」によると、約25万人の女性が強姦被害を受け、その結果産まれた子供が3000人以上いる[1]。 ルワンダ紛争はフツ系政権および同政権を支援するフランス語圏アフリカ、フランス国[4][5]と、主にツチ難民から構成さ

    ルワンダ虐殺 - Wikipedia
  • クルド人であること - クルド人メメットとその家族を支援する会

    メメットの生まれ育ったアディアマン県ギョルバシ市は、まだまだクルド人差別などが根強く残っています。彼は幼少の頃から、軍の村人に対する虐待や暴行を目の当たりにしてきました。メメット人も軍に殴られたり、銃口を突き付けられたりと辛い日々を過ごしてきました。ある日、遠い親戚がゲリラになったそうです。メメット自身には身に覚えがなくても、警察や軍の暴力的な取り調べが相次ぎました。命の危険を感じたメメットはついに日へ亡命をする決意をしました。亡命後、母国に残った奥さんが警察に呼び出され、メメットの居場所を教えるよう尋問されました。しかし、奥さんは決して口を割らなかったと言います。日に来日したメメットは難民として認められず、入国管理局へ収容される恐怖におびえる日々が続きました。しかし、とうとう10カ月の収容生活を余儀なくされました。元々、体調が悪く、何度も病院へ行きたいと職員に訴えましたが、入管職員

  • 池田香代子ブログ : アフリカに子供服を送らないで ボランティアの光と影 - ライブドアブログ

    2010年10月11日00:00 カテゴリ社会・世界情勢 アフリカに子供服を送らないで ボランティアの光と影 子供服メーカーが店舗を窓口としていらなくなった子供服を回収し、女子受刑者たちが仕分けなどをしてタンザニアの女性に届ける、という事業が新聞に載っていました(10月9日付東京新聞夕刊)。配るのは、世界各国でお母さんと子どもの命を守る活動をしているNGOです。子供服を配ることで、産前産後の検診に来てもらおう、ということのようです。 女性から女性へ。法務省は、「『受刑者の半分は母親。母子の命が十分に守られない国に衣服を届ける社会的事業への参加を通して、共感することもあると思う』と教育効果を期待している」とのことです。 いいことづくめのように思えます。でも、ちょっと立ち止まって、明治以来、このくにが工業を発展させてきた道筋を思い出してください。最初は絹糸、綿織物、縫製製品と、「いとへん」の軽

  • Gazing at the Celestial Blue 日本が「第三国定住」難民を受け入れ

    ネットでニュースを見て回っていると、気になる単語が目に入ってきた。 毎日新聞 2008年8月25日11時22分付の、ある報道にあった「第三国定住」。 気になったので、報道をお持ち帰りしつつ、ひとまず調べた色々をメモ。 以下、引用。 政府は、紛争などで他国に逃れた難民が別の国に移住する「第三国定住」難民を受け入れることを決めた。(略)これまで日はインドシナ難民を特例措置として受け入れた以外は、国外の難民の入国を拒んできた経緯があり、難民政策の転換と位置づけられそうだ。 第三国定住は、紛争などで自国に帰れない難民を、欧米などが中心となって安定した生活を送らせる手段。現在の出入国管理・難民認定法は難民認定の可否を日国内で審査する形を取っており、国外で暮らす難民を受け入れる前提がない。第三国定住はこれと異なり、現在の生活地で行う面接などで審査できる。(略) 日が受け入れれば、アジアで初の受け

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