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ブックマーク / blog.szk.cc (4)

  • 「うちらの世界」論の系譜

    どうも夏になるとツイッターで不用意なことを書く人が増えるのか、ネット憲兵のみなさまが活動しやすくなるのか、この夏はバイト先で不適切な行為に及んだ若者の問題がブームになっている。その数が増えたように見えるのは単に注目を集めているからで、いつぞやの飲酒・喫煙告白が目立ってたときと同じだと思うけど、じゃあどうしてそんなことを書いてしまうのかという点についても、あまり話に進展はないように思える。 彼らの社会は「うちら」で完結する。「うちら」の外側はよくわかんないものである。よくわかんないものが干渉してくれば反発する。そして主観的には彼らは「なにも悪いことはしていない」。彼らにとって「悪いこと」とは明確な脱法行為のみである。あるいは「うちら」の結束を乱す行為だ。なにか、よくないことをしでかして、叱られたとする。しかし罰せられない。それは許されているということだ。明確な処罰が下されない限りは許されてい

    「うちらの世界」論の系譜
  • こんな時だから大学生活を考える

    寒すぎた冬がまだ尾を引いているせいで桜も例年より遅め。震災の影響を直接には被っていないとはいえ、一部の商品はスーパーでも売り切れる状況では、「入学おめでとう」などとのんきなことは言えないのかもしれない。まして、長いスパンで考えれば景気停滞、雇用不安、グローバル化への対応など、あと4年もたてば社会人として自らも取り組んでいくことを期待されるお題が山積み。これなんて無理ゲー?となるのも致し方ないと思う。でも、大学に入れたということは、それだけで他にはないアドバンテージを手にしているということだったりする。基的には昨年のエントリで言いたいことは尽きているのだけど、今年も少しだけ「大学生活の使い方」について。 1.ともあれ図書館は財産だ 学生であるうちにしか許されないことのひとつに、大学図書館の利用がある。もちろん大学によって規模は違うし、卒業しても多少は利用できるケースも多いんだけれど、ともあ

    こんな時だから大学生活を考える
  • 郊外とイエとナショナリズム

    東海道新幹線に乗るたびに、胸が締め付けられるような気持ちになる。田園の合間に立ち並ぶ個性のない住宅と学校と、コンクリート工場。都市部が近づくにつれ増えるロードサイドの飲店と、駐車場の広いスーパーと、大型ショッピングセンター。雨に濡れたアスファルトと、河川敷の水たまりと、どこまでも続く鉄塔。そうしたひとつひとつの風景を、「死んだ国土」と呼ぶ感性は、どうしても僕の中には見つからない。なぜならそれこそが、僕のふるさとの風景だからだ。 幹線道路を走る車の中にも、夕焼けを透かして見る校舎の教室にも、のっぺりとした郊外型住宅の中にともる灯りにも、その向こうに「人間」を抱えている。都市設計家やコミュニティ活動家が批判する凡庸な風景の中で、飯をって、仕事をして、教室の机に落書きをして、塾に通って、告ったり告られたりして、生きている人間がいる。きっとその家を建てた瞬間、そこには未来への希望があり、ローン

  • 大学には入ったけれど

    今日は勤務先の入学式。毎年のこととはいえ、春先のキャンパスの浮かれた感じは独特のものがあって、年々垢抜けていく新入生も、このときばかりは戸惑いの表情を見せながらサークル勧誘のチラシを受け取っている。ほほえましい光景なのだけれど、その一方で、すでに道に迷っているというか、大学に入って何をすればいいのか分からなくなっているんじゃないかと思える子もいる。せっかくなので、大学で何をすればいいのか、少し書いてみようと思う。 1. 友達なんかいなくてもいい いま、若い世代の間では、コミュニケーションが生活の中心になりつつある。その理由はいくつもあるのだけど、ともあれ周囲とつながりを維持できなかったり、そもそも誘われなかったりすると、生きていくのに大変不便だ、という強迫観念を持っている人が、それなりの割合で存在している。 でも一方で、大学というところは、基的には個人で履修プログラムを決め、個人に成績が

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