「勇気を与えたい」「聴いた(観た)人を元気にさせたい」 長けた者は既にSNSなどを利用して音楽の新たな在り方を模索している。それは前向きな行為であり、私などもこの先、遅まきながら学ばざるを得ないのかもしれないが、どうにも苦手な風潮も渦巻いている。こういう非常時には必ず多くのアーティストやアスリートらが「勇気を与えたい」「聴いた(観た)人を元気にさせたい」と一様に口を揃えて発信するのだ。 幼少期の私の家庭事情は複雑で、かなりの社会的弱者と言ってよい環境で育った。物心がつき、少しは人並みに暮らせるようになった少年期に音楽に出逢ったが、前述のような「勇気を与えたい」という作為を少しでも感じさせるもの、ましてやそれを口に出してまで主張するものには全く心が動かなかった。音楽は、いや音楽に限らず全ての作品やパフォーマンスは、受け取る側が自らの解釈で咀嚼して初めて「勇気」や「元気」に変換されるものだと考