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2020年7月26日のブックマーク (2件)

  • (2ページ目)「勇気を与えたい」という傲慢――私は自分の作るものが人の役に立つとは思っていない/田中和将 | 文春オンライン

    「勇気を与えたい」「聴いた(観た)人を元気にさせたい」 長けた者は既にSNSなどを利用して音楽の新たな在り方を模索している。それは前向きな行為であり、私などもこの先、遅まきながら学ばざるを得ないのかもしれないが、どうにも苦手な風潮も渦巻いている。こういう非常時には必ず多くのアーティストやアスリートらが「勇気を与えたい」「聴いた(観た)人を元気にさせたい」と一様に口を揃えて発信するのだ。 幼少期の私の家庭事情は複雑で、かなりの社会的弱者と言ってよい環境で育った。物心がつき、少しは人並みに暮らせるようになった少年期に音楽に出逢ったが、前述のような「勇気を与えたい」という作為を少しでも感じさせるもの、ましてやそれを口に出してまで主張するものには全く心が動かなかった。音楽は、いや音楽に限らず全ての作品やパフォーマンスは、受け取る側が自らの解釈で咀嚼して初めて「勇気」や「元気」に変換されるものだと考

    (2ページ目)「勇気を与えたい」という傲慢――私は自分の作るものが人の役に立つとは思っていない/田中和将 | 文春オンライン
    gxg
    gxg 2020/07/26
    何百年も前mixiで「せめて、『勇気を分けて差し上げたい』やろボケ!」と違和感を表明したんだけど、はてな界隈でさえまだコンセンサス取れてない案件だったのか。この物言いで表現してるやつに誠意を感じない。
  • 「勇気を与えたい」という傲慢――私は自分の作るものが人の役に立つとは思っていない/田中和将 | 文春オンライン

    令和二年四月、今年の春はいやに肌寒く感じていたが、ようやくこの季節らしい日差しが降り注ぐようになった。伸び放題になってきた木をそろそろ手入れしなければと思っていたある朝に雨戸を開けると、ほんの二尺ほどの近さで鳥と目が合った。の額ほどの庭、よく見るとオリーブの木に鳩が巣を拵えている。ちょうど掃き出し窓に立った私の目の高さである。これは困った。たくさん集まってきて糞を落とされたりしてはたまったものではない。そうなると近隣にも迷惑がかかるであろうし、追い出すべきか否かと悩んでいたが、既に卵を温めている様子である。最早追い出しにくいではないか。 調べてみたところ、そこらの公園などで群れているドバトではなく、キジバトのようである。たしかに公園のものより少し細身で色柄も違う。きりっとしていてどことなく野鳥の趣である。キジバトは群れず、単独、或いはつがいで行動するとあり、なるほど昼と夜で雄と雌(私には

    「勇気を与えたい」という傲慢――私は自分の作るものが人の役に立つとは思っていない/田中和将 | 文春オンライン
    gxg
    gxg 2020/07/26