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2014年4月9日のブックマーク (2件)

  • 宮沢賢治 オツベルと象

    オツベルときたら大したもんだ。稲扱(いねこき)器械の六台も据(す)えつけて、のんのんのんのんのんのんと、大そろしない音をたててやっている。 十六人の百姓(ひゃくしょう)どもが、顔をまるっきりまっ赤にして足で踏(ふ)んで器械をまわし、小山のように積まれた稲を片っぱしから扱(こ)いて行く。藁(わら)はどんどんうしろの方へ投げられて、また新らしい山になる。そこらは、籾(もみ)や藁から発(た)ったこまかな塵(ちり)で、変にぼうっと黄いろになり、まるで沙漠(さばく)のけむりのようだ。 そのうすくらい仕事場を、オツベルは、大きな琥珀(こはく)のパイプをくわえ、吹殻(ふきがら)を藁に落さないよう、眼(め)を細くして気をつけながら、両手を背中に組みあわせて、ぶらぶら往(い)ったり来たりする。 小屋はずいぶん頑丈(がんじょう)で、学校ぐらいもあるのだが、何せ新式稲扱器械が、六台もそろってまわってるから、のん

  • 自分が白象に思える時がある

    頼られると嬉しくてついつい引き受けてしまう。 大体なんとかこなしているけど、たまに自分が『オツベルと象』の白象に思える時がある。 「済まないが、税金が五倍になった、今日は少うし鍛冶場へ行って、炭火を吹いてくれないか」 「ああ、吹いてやろう。気でやったら、ぼく、もう、息で、石もなげとばせるよ」オツベルの物腰は柔らかく、こちらへの配慮が見られる。これも同じだ。そんなふうに配慮されると、ようし頑張ってやろうという気になる。 その晩、象は象小屋で、七把の藁をたべながら、空の五日の月を見て 「ああ、つかれたな、うれしいな、サンタマリア」と斯う言った。そうして、疲れて帰ってきて、誰かを助けられたことを喜ぶのである。疲れも心地よいくらいだ。 だがいつかこんなふうになるんじゃないかと思う。というか、なりかけている。 まあ落ちついてききたまえ。前にはなしたあの象を、オツベルはすこしひどくし過ぎた。しかたが

    自分が白象に思える時がある
    gyaam
    gyaam 2014/04/09