1991年にスタートした武満徹(1930-96)作品の録音は川口義晴さんの新しい経験とキャリアの始まりとなった。邦楽演奏家との交流、名曲『ノヴェンバー・ステップス』をはじめとする武満作品に対する新たな目覚め、録音現場でのエピソード、そして早すぎた武満徹の死がもたらした衝撃など、川口さんのレコード・プロデューサーとしての想いは尽きることがない。 ―― 『ノヴェンバー・ステップス』が録音第1弾となった経緯は前回にお聞きしましたが、録音の方向性についてはどのような考え方で臨まれたんですか。 川口: 武満さんの昔の曲ってそれなりに録音もあるし、それらの中にはもうこれ以上の録音はできないと思えるほど優れたものもある。だから、そういう作品は意識的に避けてやりましたね。『アーク(弧)』なんていう6曲セットの作品などは自分としてはやってみたかった名作ですが、あの岩城宏之さんと若杉弘さんの録音を超えるのはま
前の「レッド・ツェッペリン来日伝説」「松本清張(に関する森村誠一伝聞による)伝説」が割と読まれたみたいなので、今回は映画監督の黒沢明(黒澤明)をとりあげてみます。元ネタは『現代のエスプリ・精神科医が映画を観ると』の中の「映画という集団総合芸術の問題点----黒沢明監督の場合」(柏瀬宏隆)。引用が多いテキストなので、さらにその引用元を明記してみます。 1・『影武者』における、役者・勝新太郎とのケンカ (勝新太郎は)「俺はこういう役者だから、こんな気分では芝居なんかできない」というようなことを、口をとがらせて黒澤さんに言った。一瞬の間をおいて、黒澤さんは信じられないほど冷静な声で言った。 「それなら、勝君には止めてもらうしかないな」と言い捨てるや、くるりと向き直りワゴンを降りた。彼が私(引用者注・黒澤映画の記録係であった野上照代)のわきを通る時、同時に勝さんがガバッと立ち上がり、飛び出しそうな
1990年代に始まった川口義晴さんの新たなレコーディングが武満徹作品への取り組みであった。学生時代に武満作品を聴き、衝撃的な感動を得た経験を持つ川口さんだが、70年代から始まったレコーディングプロデューサーとしての仕事に武満作品が含まれることは不思議となかった。しかし、91年になって突如、幕が開き、結局5枚のアルバムを作ることになる。ところがその間に、武満徹と高橋悠治の2人の天才は決別することになる。その理由は一体何だったのだろうか。 川口: 実に単純なことでね、日本コロムビア(現・コロムビアミュージックエンタテインメント)には武満さんの「ノヴェンバー・ステップス」の録音がなかったんですよ。でもこの曲は義務教育の鑑賞教材にも指定されている作品だという。だから急遽(きょ)作れっていうことでスタートしたのが本当の理由です。でも「ノヴェンバー・ステップス」は17~18分しかない曲だから、それだけ
1960年と72年に若干追加。(3 Jul.) |オーケストラ作品|室内楽・器楽作品《ピアノ作品》| |うた・合唱作品|テープ作品|映画音楽・TV| BOOKS 「武満徹エッセイ選-言葉の海へ」(ちくま学芸文庫)が発売されました。(10 Sep.) 映画音楽全105作品(FILMOGRAPHY) 松本俊夫監督の「気(80)」からDVDへ再リンク。(21 Oct.) ●WebBOARD● ●音楽雑記帖● ●ミュージック・フォーラム● ナクソス・ジャパンからNHK「現代の音楽」アーカイブシリーズの一環として「ノヴェンバー・ステップス(岩城宏之&N響)/地平線のドーリア(小林研一郎&都響)/杉浦康平との対談 他」(NYNG-003)が発売中です。ラジオ放送の音源で、これまで音盤にはならなかったものです(「風の馬」I&IIは初演時の録音)。(7 Oct.) 笹子重治(g)、秋岡欧(bandolim
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