前回に引き続き、演奏という行為をアカデミズムとして押さえておくべき事柄と、だからと言ってそれが即、感動的な演奏とはなり得ない難しさとがインタビューの中心である。今回はことに古楽演奏を例に、正しい演奏のあり方と、それをもう一歩踏み越えなくては生きた人間の音楽とはなり得ない、そんな論議が展開されていく。時代は進歩と発展を重ねて現代に至っているのか、それとも時に後退することだってあり得るのか。音楽の場合その見極めすら難しく、安易には結論は出せないが、そうした変遷を意識しつつ現代の演奏としてのあり方を究める大切さも見えてきたように思われる。 ―― アカデミズムにこだわるわけではありませんが、先日来日してベートーヴェンの交響曲とピアノ協奏曲などを演奏した指揮者のパーヴォ・ヤルヴィが面白いことを言っていました。以前は関心を抱いていた古楽オーケストラの演奏が近年、自分には面白くなくなってきた。なぜならフ
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