昨年閉館した「ホテル西洋銀座」の解体工事が二十五日、始まった。一九八七年に開業した高級ホテルで「バブルの象徴」と揶揄(やゆ)されることもあったが、小規模ながら外観からサービスまで一流を追求したホテルが消えることに、惜しむ声が出ている。 (荘加卓嗣) ホテルは、二〇〇五年の愛知万博で総合プロデューサーも務めた建築家、故菊竹清訓(きよのり)氏が設計した。壁面が段々になった白亜の外観は当時、建築界で注目を集めた。 ホテルはセゾングループ傘下で、昨年死去した堤清二氏がグループ代表時代に開業した。欧州作品を上映する映画館や劇場も入居。メセナ(文化支援)活動に力を注ぎ「セゾン文化」を生み出した清二氏の影響が見て取れる。 客室は七十七室と少なくて大宴会場もなく、清二氏の弟・義明氏が率いた大規模な「プリンスホテル」とは対照的だった。その一方で調度品もサービスも高級感を重視し、宿泊者の相談に乗る「コンシェ