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2019年1月14日のブックマーク (4件)

  • 神戸新聞NEXT|阪神|武庫川河口にイルカの群れ、渡船業者が発見、撮影

    武庫川の河口にイルカの群れ出現-。兵庫県尼崎市内の渡船業者のスタッフが10日朝、約10頭の群れで泳いでいるイルカを目撃し、撮影した。神戸市立須磨海浜水族園でイルカ飼育を担当する古田圭介学芸員(41)は「太平洋に多いバンドウイルカかミナミバンドウイルカではないか」と分析。ただ、「これだけの群れが、陸に近い場所で目撃されるのは非常に珍しい」と話している。 「武庫川渡船」(尼崎市平左衛門町)のスタッフ守田成希さん(41)によると、同日午前10時ごろ、西宮浜沖約3キロにある防波堤「武庫川一文字」に船で釣り客をを送迎する途中、武庫川河口沖約2キロの地点で、約10頭のイルカの群れを見つけた。 守田さんは「ふだんこの付近で、1、2頭を見たことはあるが、10頭も群れているのは過去数十年間で初めて」と話している。イルカは背びれを見せながら船に並走するような動きを見せ、約1時間後に姿を消した。(三津山朋彦)

    神戸新聞NEXT|阪神|武庫川河口にイルカの群れ、渡船業者が発見、撮影
    gyogyo6
    gyogyo6 2019/01/14
  • レーダー照射問題 日韓がシンガポールで協議 | NHKニュース

    海上自衛隊の哨戒機が韓国軍の駆逐艦から射撃管制用レーダーを照射された問題で、日韓国の防衛当局による協議が14日午前、シンガポールで行われています。日側は、防衛省の審議官級らが出席し、照射の客観的な証拠として、自衛隊の電波記録を示すことも含めて対応しているものとみられます。 こうした中、関係者によりますと、14日午前、シンガポールで、日韓国の防衛当局による2回目の協議が行われていて、日側からは、防衛省の石川防衛政策局次長と統合幕僚監部の引田運用部長が出席しているということです。 レーダーの照射をめぐり、両国の見解がい違うなか、日としては、日韓のこうした関係が日米韓の連携にも影響を及ぼしかねないとして、事態の早期収拾が必要だとしていて、再発防止を求めるとともに、照射の客観的な証拠として、自衛隊の電波記録を示すことも含めて対応する方針です。

    レーダー照射問題 日韓がシンガポールで協議 | NHKニュース
    gyogyo6
    gyogyo6 2019/01/14
    今さら謝れないあっち側、世論に訴えた手前謝ってもらわないと収まりがつかないこっち側、という図式は拉致被害者問題にも似てぐだぐだ長引きそうな予感。救いは具体的な被害者がいないことくらい
  • 芥川賞後、廃人気分の作家に 将棋界から突然のオファー:朝日新聞デジタル

    作家 高橋弘希さんの寄稿 朝日新聞には、A賞受賞時にもエッセイを寄稿した。一般の読者は知らぬと思うが、とゆうか私も知らなかったが、A賞を受賞すると各新聞紙へのエッセイ寄稿が慣例である。 しかし「私がA賞を受賞して」というテーマで、何紙にもエッセイを書くので、すぐにネタが尽きる。結果として紙に寄稿したエッセイは「私がA賞を受賞して」ではなく「私が竜王を諦めた理由」になってしまい、文化部からは完全にひんしゅくを買ったものと思っていた。 しかしそこは懐の広い紙である。この度、再びエッセイの依頼がきた。一月初旬の掲載なので、干支(えと)について記せ、あるいは亥(いのしし)年なので猪突(ちょとつ)猛進をテーマにしても可、とのことだ。 亥と言えば、私は過去に秩父で猪鍋(ししなべ)をべたことがある。豚肉とは違い、脂身に軽さがあり、しかしながら淡泊とも言い難い芳醇(ほうじゅん)な味わいがあり、大

    芥川賞後、廃人気分の作家に 将棋界から突然のオファー:朝日新聞デジタル
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    gyogyo6 2019/01/14
    「エッセーの軽妙さとは正反対の濃密で繊細な筆致で描く小説が高く評価されて」遠藤周作・北杜夫の系譜か(たぶんちがう)
  • 哲学者の梅原猛さん死去 日本古代史に大胆な仮説を展開:朝日新聞デジタル

    独自の理論で日古代史に大胆な仮説を展開した哲学者で、国際日文化研究センター(日文研、京都市西京区)の初代所長を務めた文化勲章受章者の梅原猛(うめはら・たけし)さんが12日、死去した。93歳だった。 1925年、仙台市生まれ。京都大学哲学科卒業後、立命館大学教授や京都市立芸術大学長などを歴任した。 60年代から日文化研究に傾倒し、72年に奈良・法隆寺は聖徳太子の怨霊を鎮めるために建てられたとする「隠された十字架―法隆寺論」を出すと、73年には万葉歌人の柿人麻呂は流刑死したとする「水底(みなそこ)の歌―柿人麿論」を刊行。通説を覆す独創的な論は「梅原古代学」と呼ばれ、大きな反響を呼んだ。 80年代前半には、日文化を総合的に研究する中心機関の必要性を訴え、当時の中曽根康弘首相に直談判するなど政府関係者を説得。日文研の創設にこぎ着け、87年に初代所長に就任した。 社会的発言も多く、日

    哲学者の梅原猛さん死去 日本古代史に大胆な仮説を展開:朝日新聞デジタル
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    gyogyo6 2019/01/14