【読売新聞】 【バンコク=山村英隆】東南アジアで広がっていた日本の中古鉄道車両を輸入する動きが、変化している。各国の経済成長に伴い、中古を嫌って新車を導入する例が目立ち始めた。鉄道会社の廃車費用が膨らむ懸念がある一方で、車両メーカー
【読売新聞】 【バンコク=山村英隆】東南アジアで広がっていた日本の中古鉄道車両を輸入する動きが、変化している。各国の経済成長に伴い、中古を嫌って新車を導入する例が目立ち始めた。鉄道会社の廃車費用が膨らむ懸念がある一方で、車両メーカー
昭和40年代半ば、家族でテレビを囲んでプロレスを見ていた。わが家のヒーローは人気絶頂だった日本プロレスのジャイアント馬場やアントニオ猪木ではなく、国際プロレスのエース、ストロング小林だった。当時、地元の大分県の民放はOBS大分放送1局だけで、プロレス中継はTBS系の国際プロレスしか放送がなかったからだ。 その小林の強かったこと。得意技はバックブリーカー。ボディービルで鍛えた怪力で、外国人にも力負けしなかった。IWA世界ヘビー級王座をビル・ロビンソンら強敵相手に実に25度も防衛した。対戦相手のロビンソンやモンスター・ロシモフ(後のアンドレ・ザ・ジャイアント)の名前は、私の母親でも知っていた。あの時代のプロレスは家族で楽しむ娯楽だった。 今年1月6日、ストロング小林さん死去のニュースが報じられた。昨年12月31日に東京・青梅市内の病院で亡くなっていた。81歳だった。突然の訃報に半世紀も前の記憶
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