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2013年1月20日のブックマーク (5件)

  • 「レンジでチンするとiPhone充電できる」…と言うデマが拡散し被害者続出 : 痛いニュース(ノ∀`)

    「レンジでチンするとiPhone充電できる」…と言うデマが拡散し被害者続出 1 名前: ペルシャ(宮城県):2013/01/20(日) 13:32:09.30 ID:wbAXHTJP0 急いで充電しなければならないのに充電器が無くて困ったことは無いだろうか。 そんな時は電子レンジで数分チンすれば、充電が可能だというまことしやかな情報が拡散し被害者が続出している。しかし当然iPhoneをレンジに入れれば故障の原因となる、そればかりか爆発の恐れもあるので絶対にやってはいけないことだ。しかしネットで拡散したデマを簡単に信じてしまうユーザもいるようで、今後被害は増えそうだ。 問題となっている情報源は2ちゃんねるのとあるスレッドで、iPhone5が電子レンジで20秒で 充電できるというものだ。ちなみに4Sは30秒だというが、もちろんこれは嘘である。実際に iPhoneを電子レンジに入れた場合どのよう

    「レンジでチンするとiPhone充電できる」…と言うデマが拡散し被害者続出 : 痛いニュース(ノ∀`)
  • ザビエルも困った「キリスト教」の矛盾を突く日本人

    の各地でザビエルは布教するのですが、出会った日人が彼に決まって尋ねた事があります。それは、「そんなにありがたい教えが、なぜ今まで日にこなかったのか」ということでした。そして、「そのありがたい教えを聞かなかったわれわれの祖先は、今、どこでどうしているのか」ということだった。 つまり、自分たちは洗礼を受けて救われるかもしれないけれども、洗礼を受けず死んでしまったご先祖はどうなるのか、やっぱり地獄に落ちているのか・・・・・当時の日人はザビエルにこういう質問を投げかけた。 元来、キリスト教においては、洗礼を受けてない人は皆地獄ですから、ザビエルもそう答えました。すると日人が追求するわけです。 「あなたの信じている神様というのは、ずいぶん無慈悲だし、無能ではないのか。全能の神というのであれば、私のご先祖様ぐらい救ってくれてもいいではないか」 ザビエルは困ってしまいまして、国への手紙に次

  • ここまで来たか! 3Dプリンタにカラフルモデルな家庭用モデルが登場

    ここまで来たか! 3Dプリンタにカラフルモデルな家庭用モデルが登場2013.01.20 12:00 そうこ 3Dプリンタもここまできた。 Cubify社の3Dプリンタは、まるでコーヒーメーカーのようにカラフル。ミシンサイズで重さも19ポンド(約8.6キログラム)と家にあってもおかしくないサイズ。値段も1400ドル(約12万5000円)と、家電の1つとして手が届かないこともない。何より、このカラフルなデザインが一般ユーザーを強く意識している証拠ですよね。 3Dプリンタは、元々最先端の夢の技術でした。それが、広く使用されるようになり、小型化され価格が落ち着いて家庭用のものが表れ始めた。そしてついに、マシンのデザインをここまで色や形で意識するようになりました。つまり、一般人にもアピールする必要がでてくるほど、3Dプリンタの認知度が上がったということです。1983年に、Chuck Hull氏が初め

    ここまで来たか! 3Dプリンタにカラフルモデルな家庭用モデルが登場
  • 内藤正典・同志社大学大学院教授によるアルジェリア人質事件の背景解説

    masanorinaito @masanorinaito 日では、90年代の常軌を逸したアルジェリアでの内戦について正確に知っている人はほとんどいないから、マスコミがアルジェリアについて論評するのを聞いていると、ひどく紋切型で「知らないんだろうな」という印象を受ける。 2013-01-19 03:43:22 masanorinaito @masanorinaito アルジェリアは「イスラム過激派のテロと戦ってきましたから武装勢力を許さない」という解説を耳にするが、そういう表現をすると、アルジェリアが親米だったかのように聞こえることだろう。とんでもなくずれているが。 2013-01-19 03:45:09

    内藤正典・同志社大学大学院教授によるアルジェリア人質事件の背景解説
  • 大学入試は学力を計るものではないことを改めて感じる - あらきけいすけの雑記帳

    ひさびさに入試国語で小林秀雄を見た。 と言っても試験監督をしたときくらいしか、国語の入試問題なんか見ることもないから、出題頻度なんか知らない。 刀の鍔(つば)の話である。いかにも小林らしい「目利き自慢」のエッセイである。当然のことながら、歴史的考証をスノッブに侮蔑しつつ、目の前の鍔の鑑賞をもったいぶって書き散らしている。室町末期に鍔の装備が一般的になって、戦争が日常の状態で明日の生死も計り知れぬ時代にあっては、鍔の装飾も後の時代に比べれば質素だが、所有者の覚悟が伝わってくるような素晴らしい仏教的デザインであり、またこのデザインの背景となったこの時代の仏教の受容も現代とは違ってもいよう、その名残が地方の琵琶演奏に残っていて云々、、、という、主題があっち行ったりこっち行ったり、いかに情趣の理解が深かろうとも、文章構成としては好き放題の感想を書き散らしているだけの駄文である。こんな文章は年の行っ

    大学入試は学力を計るものではないことを改めて感じる - あらきけいすけの雑記帳