佐久川政喜さん(左)が語る戦争体験に、熱心に耳を傾ける幸良桃花さん(中央)と遊佐璃玖君=9月29日、読谷村比謝 読谷村比謝に住む佐久川政喜さん(89)は、沖縄戦が始まる2年前に徴用され、機関砲などを運ぶ輸送船の船員として働いていました。そのため1944年10月10日の米軍による大規模な空襲「10・10空襲」は、南大東島沖の船上で経験しました。その後、家族の様子を確認するため沖縄に戻った際、戦渦に巻き込まれます。砲弾が飛び交う中、山中をさまよい続けた佐久川さんの戦争体験を、読谷村立古堅中学3年の幸良桃花さん(14)と同校1年の遊佐璃玖君(13)が聞きました。 ◇ ◇ 私は1925年10月20日に読谷山村比謝で生まれ、両親と祖母、兄、妹2人と暮らしていました。学校は古堅尋常高等小学校(現村立古堅中学校)に通いました。 43年の夏ごろでした。輸送船の船員として徴用されて、鹿児島市内で1カ