診察室の扉を開けると、あたたかで真っすぐなまなざしに迎えられた。そこには取材者への、ちょっとした好奇心も見てとれる。さらさらヘアーのボブカットに切り揃えた前髪、つややかな肌に白い歯と、目の前の女性が91歳なのかと改めて思わずにはいられない。白衣の姿は小柄ながら確かな存在感を放ち、眼鏡の奥の瞳は穏やかでやさしく、心がしんと落ち着いていくのを感じる。 91歳の現役医師というだけでも驚きだが、7人もの子どもを産み育てた母でもある。 自分はガリガリになっても食べさせてくれた母 英子さんは1931(昭和6)年、京都で生まれた。6歳で「支那事変=日中戦争」、10歳で「大東亜戦争=第2次世界大戦開戦」を経験、戦争真っ只中に子ども時代を送った。 「旗を立てて、小学校に通っていました。京都でも空襲警報はあって、焼夷しょうい弾も落とされました。お米は配給制でした。母が着物と交換するために農家に行き、お米を胴に
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