武田勝頼は鉄砲をナメていたから負けたのではない…教科書が教えない「長篠の戦いで信長が勝った本当の理由」 最新の研究が明かす武田軍と織田軍の決定的な違い 戦国時代、鉛のニーズは爆発的に増え、タイからも輸入 戦国期では、鉛はおもに西日本での需要が急増していたといわれる。それは石見銀山の採掘が盛んとなり、銀の精錬技術である灰吹法はいふきほうには、鉛が必要不可欠だったからである。ところが、戦国合戦が激化し、鉄砲の使用が拡大すると、鉛の需要は爆発的に増え、国内産では到底賄えず、海外からの輸入が増えた。中国や朝鮮との東アジア貿易のほかに、南蛮貿易による輸入が、日本における鉛の需要(銀精錬と戦争)を支えていたのである。 南蛮貿易が日本の戦争を支えていたのは、鉛だけではなかった。火薬の原材料である硝石しょうせきも、海外からの輸入に頼っていた。 こうした日本の海外貿易は、九州や堺などが窓口になっていた。この
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