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ブックマーク / parkyuha.org (2)

  • 原口由夫, 「鄭栄桓-忘却のための和解 :『帝国の慰安婦』と日本の責任」批判 – 박유하 『제국의 위안부』, 법정에서 광장으로

    〔鄭栄桓『忘却のための「和解」』について〕 書には、確かに朴裕河氏が言うように、数多くの「誤読」「曲解」がある。私が気づいたそのいくつかを提示したいが、全体の3分の2ほど読んだところで読むのを止めてしまった。何ものをも証明せず、ひたすら恣意的な読み替えで『帝国の慰安婦』を批判する書に、これ以上読み続ける意味が見出せなくなったからである。したがって、投稿は中途半端なものとなってしまったが、自分自身の備忘ということもあり、投稿することにした。 【略記号等】 1)最初のページ番号は、書のページ番号。 2)≫で始まる部分は、書掲載の、鄭氏による『帝国の慰安婦』の引用。 3)(帝、P.135)の「帝」は『帝国の慰安婦』を、(忘、P.46)の「忘」は『忘却のための「和解」』を指す。 4)>で始まる部分は、書の地の文(鄭氏の文)。 5)――で始まる部分は、私の文(コメント)。 6)「Soh」

    原口由夫, 「鄭栄桓-忘却のための和解 :『帝国の慰安婦』と日本の責任」批判 – 박유하 『제국의 위안부』, 법정에서 광장으로
  • 四方田犬彦, 朴裕河を弁護する – 박유하 『제국의 위안부』, 법정에서 광장으로

    朴裕河を弁護する 四方田犬彦 1 比較文学は人文科学の領域にあって、ひどく効率の悪い学問である。 まず自国語のみならず、複数の外国語に精通していなければならない。少なくとも自在にそのテクストを読み、学会の場で意見交換ができなればならない。自国語で書かれたテクストだけを、自国の文脈の内側だけで解釈する作業と比較するならば、はるかに時間と労力、そして情熱が必要とされる。にもかかわらず、人はどうして比較文学なる分野に魅惑され、それを研究することを志すのだろうか。比較文学は人に何を与えてくれるのだろうか。 ごく簡単にいう。それは人をして(政治的にも、文化的にも)ナショナリスムの頚城から解放するという効用をもっている。『源氏物語』の巻名である「総角(あげまき)」の一語が、韓国で未婚男子を示すチョンガーと書記において同じだと知るならば、人は日でしばしば口にされている文化純粋主義なるものが、稚拙な神話

    四方田犬彦, 朴裕河を弁護する – 박유하 『제국의 위안부』, 법정에서 광장으로
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