ブックマーク / note.com/dokuninjin7 (2)

  • 「みんなのうらみ」からは逃れられない|青識亜論

    そして、一度、誰かを焼き尽くすことに成功したならば、それは成功体験となって、その欲望は何度も何度もリフレインするようになる。 炎上が発生したとき、「なぜ謝罪しないのか」「削除すればすむのに」などと言ってしまえるのは、それが他人事にすぎないからだ。 私はインターネットの炎上史を、ここ十年ぐらい、ずっと観察してきたが、謝罪や削除対応で許された事例など一つも存在しない。 むしろ、そのような「真摯な対応」は、成功体験というガソリンを提供し、炎上している人たちはその「快感」を求めて、ヒートアップするのが常だ。 鎮火に成功した事例のほとんどが、「無視」という対応をとったものだ。 森永のアイスボックスや日経新聞などは無視した事例だが、結局はなにも起こっていない。というか、もう炎上させた当人達も、忘れてしまっているのではないだろうか。 しかし、絶対に忘れない人々もいる。 炎上で謝罪させられたあげくに、「キ

    「みんなのうらみ」からは逃れられない|青識亜論
    haha64
    haha64 2024/04/11
    ここで挙がってる事例って例えば「バーベンハイマー」騒動とどう違うんだろう。一緒ならあれも加えるべきだし、違うならどこまでが正当な批判でどこからが理不尽に燃やされてるのか是非「論点整理」してほしい。
  • 論点整理:「明日海賊にはなれないが、小学生を襲うことはできる」について|青識亜論

    小児性愛(ペドフィリア)に関する議論が終わらない。 児童型ラブドールについて、私は次のようなnoteを書いて整理したが、児童型ラブドールを題材にしたレビュー漫画がバズッたことをきっかけに、議論が再燃している。 ※既出の論点の復習までに、拙稿のリンクを。 多数の論点が乱雑に提起されているため、主要な論点に一つ一つコメントしていきたいと思うが、結論から言えば、私の立場はどの論点についても「半分賛成・半分反対」ぐらいのものである。 というのも、普遍的な法や正義や倫理について語っているような部分と、個人の感情や処世術としての小児性愛(さらにはオタク趣味)一般への向き合い方の問題とが、混然一体となって記述されているからだ。 稿では、「法や正義の問題として見たときにどうか」と、個人としての感情や共感の問題としての小児性愛という問題の二方向から照射しながら、簡単にコメントしていきたいと思う。 今回の論

    論点整理:「明日海賊にはなれないが、小学生を襲うことはできる」について|青識亜論
    haha64
    haha64 2020/09/03
    論点整理に値しないポジショントーク芸。小児性愛自体は内心の自由であり、犯罪行為と直接は結びつかないが、発言次第で非難や警戒を招くのは当然。覗きや下着泥棒のような性犯罪と結びついた嗜好と同列に扱うべき。
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