出産と別れコペンハーゲンに降り立ったアストリッドを出迎えたのは、ステウンス夫人の息子カールだった。彼は中央駅から、Håbets Allé (コペンハーゲンの養母が暮らしていた通りの名前。直訳すると「希望の道、希望通り」となる)の自宅までアストリッドを案内した。 路面電車で、二人はまだ緑の残るブロンスホイ(Brønshøj) 地区へと向かった。電車を降りて向かった先は、二階建ての一軒家。ここはアストリッドがその後生涯に渡って何度も訪れることになった家だ。ちなみに一番最後に訪れたのは1996年。誰が住んでいるかも知らず訪問したアストリッドは、驚く家主に自己紹介し、事情を話して中に通してもらう。そして当時、生まれたばかりの息子に授乳していた二階の部屋で、しばし一人座って過ごしたという。 養母のマリアは当時もう一人小さな男の子、エッセ(Esse)を育てていた。マリアは常に数人の子どもを育てており、