イタリア領東アフリカ(イタリアりょうひがしアフリカ、Africa Orientale Italiana)は、アフリカの角に存在したイタリアの植民地である。第二次エチオピア戦争後の1936年に、イタリア領ソマリランド・イタリア領エリトリアおよび新たに占領したエチオピア帝国の合併により形成された。イタリア王国と同君連合を組む東アフリカ帝国として形式上は独立国とされていたが、実質的にはイタリアの植民地であった。 第一次エチオピア戦争まで[編集] エチオピア地方はヨーロッパとアジアを結ぶ最短航路である紅海の南部に面しているため、インド、アジア貿易に関する重要拠点となる土地であった。1880年代に始まったアフリカ分割においてイギリスが植民地化を進めた。フランスはアフリカ大陸を南北に伸びるイギリス植民地の分断と内陸部の石炭に興味を示していた。イタリアは植民地獲得に出遅れており、北アフリカの空白地帯への
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