第2次世界大戦中に外務大臣とモスクワ大使館間で交わされた外交秘密電報の冊子。この中に新発見公電が多数含まれている。それぞれの表紙の左側には、赤字で「非常焼却」と書かれている 第二次世界大戦中の一九四四(昭和十九)年五月、東条英機内閣の重光葵(しげみつまもる)外相が、日本と中立条約を結んでいた旧ソ連の仲介による中国との戦争終結を目指していたことが、東京新聞が入手した当時の外交秘密の公電で明らかになった。重光は早期終戦論者の一人とされてきたが、終戦の一年三カ月も前の動きが公的文書により裏付けられたのは初めて。入手した公電二百五通のうち百二十二通は新たに見つかった史料。同時期の公電は焼かれるなどして現存しないとされてきたが、当時モスクワの日本大使館などで勤務し、戦後に駐米大使を務めた故武内龍次氏がまとめて保管していた。 公電は四三年十一月から四五年七月までに外務省とモスクワの日本大使館の間で交わ