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読み物に関するhamlのブックマーク (26)

  • ばーちゃんの家に行くとお茶で腹パンパンになるんだよ

    うちのばーちゃんは、人が来るととにかくお茶を出す。新聞の集金だとかNHKの集金だとかそういう人でもだ。その技術がすごい。普通、ちょっと来ただけの人がお茶を出されそうになったら話を切り上げて帰るもんだ。用事済ませたら帰りたいだろう。仕事中なら尚更。しかし、ばーちゃんは帰さない。いつのまにかお茶を入れて出している。お茶を出すよという気配を出さないまま、いつのまにかお茶が出ている。そもそも常にポットに湯が入っている。あの押して出す古いポットね。軽く20年は使ってそう。っつーか俺が小学生の頃から変わってないからそれ以上。この前、観察していたら、相槌をしながら話の腰を折らず、話を相手に続けさせる。その間に、急須に手早くお茶の葉を入れる。そうだね、そうだねとかなんとか言いながら、急須をくるくる回してお茶をジャー。そのジャーを見た瞬間、来客は話を切り上げようとするものの、ばーちゃんは、それで**は##な

    ばーちゃんの家に行くとお茶で腹パンパンになるんだよ
  • 1ヶ月間だけ、思い切りがんばれば。

    いろいろと窮屈そうに生きているあの人のために、 今は少し気楽に生きている自分のロジックを思いつくままにアウトプットしてみようと思った。 偉そうに見えても、笑って許して。 「ちょっと」を毎日。 現状を変える一発逆転があると思うかもしれないけど、どうやら近道はないみたいです。 毎日少しずつ、少しずつ努力を積み重ねるしかない。まったく人生ってやつは。まったく。 毎日努力している人にはどんな天才も絶対に及ばない。断言していいです。 大事なのは毎日(毎日じゃなくてもいいんだけど、常日頃)続けること。 とにかく結果を焦らない。落ち着けって。 今日の努力が実を結ぶのは、だいたい1年後。のんびり行くしかないですよ。 ちょっとだけやる。「ちょっと」が超大事。 ダイエットしようと思って、いきなり5キロ走るから辛くなる。初日は着替えて玄関出るところで終了。 だけど、やろうと思ったらその日のうちにやる。絶対やる。

    1ヶ月間だけ、思い切りがんばれば。
  • どうぶつの森をプレイし続けた病気のお母さん【漫画】 | Game*Spark - 国内・海外ゲーム情報サイト

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  • 個人史は終焉しない。続く。

    ある個人氏の終焉、と言う文章を先日読んだ。男女が出会い、子供を妊娠した、と言う話だ。 私は十代のころに子宮筋腫が出来、そして手術を受けた。不妊の傾向はあるだろう、と言う診断もその時受け、定期的に通院している。 私は子どもの頃から、よく人のことを聞く人間だった。勉強はするもので、ご飯はべるもので、部屋は綺麗にするもので、結果は収めるものである、と。自分の生の意味を考え始めたのは思春期の頃だ。大概、親のために、社会のために。上手に生きるため、に収束した。私は常に落胆した。酷く憂に毎日を暮らした。したいことは何も無かった。酒を飲み、寝て、を読んだ。しかし私は何者にもなれなかったし、ならなかった。なる事を選ぶことすらしなかった、出来なかった。 学生のころに恋人と暮らすようになった。恋人といると安心はした。しかし、恋人は私の生に意味を与えてはくれない。私はその、その人が体験する、一部の風景でし

    個人史は終焉しない。続く。
  • ある個人史の終焉 -after game over

    賃貸暮らしのわが家の地震対策【揺れから命を守る編】 以前のブログでも記載した、防災の優先順位に基づいて対策を進めています。まだ手をつけられていない部分もありますが、ある程度まとまってきたのでざっくりとご紹介していきます。 優先順位別に改善していっているため、今回は主に地震の揺れ対策がメインになります。…

    ある個人史の終焉 -after game over
  • 死なないために

    Paul Graham / 青木靖 訳 2007年8月 (以下は私がY Combinatorで夏シーズン最後のディナーのときに行ったトークだ。いつもは最後のディナーでトークなんかやってなくて、どちらかといえばパーティに近いのだが、しかしいくつかのスタートアップを避けられる死から救えるのであれば、雰囲気を壊してもやる価値はあると思ったのだ。それで土壇場になって、このちょっと辛気臭いトークを書きあげた。これは別にエッセイのつもりで書いたものではない。ディナーまでに2時間しかなく、書いているときが一番早く考えられるので書き出したというまでだ。) 2、3日前、私はある記者に、投資した会社の1/3くらいが成功することを期待していると話した。実際にはこれは控え目に言ったものだ。私は半分くらいは成功できるのではないかと思っている。50%の成功率を達成できたら、ちょっとすごいと思わない? 言い方を変えると