北京郊外で旧日本軍に銃弾が撃ち込まれた盧溝橋事件から八十年になる。これが八年間に及ぶ日中戦争の発端になった。止められた戦争と歴史は教える。 十三世紀にイタリア人のマルコ・ポーロが「東方見聞録」で「世界一美しい橋」と西欧に紹介した。橋のたもとには十八世紀の乾隆帝の筆による「盧溝暁月」の石碑も立つ。 一九三七年七月七日夜。日本軍の支那(しな)駐屯軍は盧溝橋近くで夜間演習をしていた。橋の東岸には宛平県城があり、城を守る中国兵の姿があった。演習前に中隊長は「支那兵に向けて、挑発的な行為や言動があってはならない」と訓示している。