タグ

webと2chに関するhandoのブックマーク (5)

  • 切込隊長BLOG(ブログ) - 乙武洋匡氏のブログの小炎上で寄せられたコメントを深く吟味する

    過日、乙武氏が記したブログでのエントリーの内容が遺憾であるとして、件について多くの批判コメントが寄せられた。読む限り、乙武氏の記述はこれといって問題はなく、もっと深淵な問題に目を向けるべきだというメッセージであると思われたが、読み方によっては皇室を軽視する表現にも見えるために批判されたものである。 http://sports.cocolog-nifty.com/ototake/2006/09/post_f549.html http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%99%E6%AD%A6%E6%B4%8B%E5%8C%A1 http://sports.cocolog-nifty.com/ototake/2006/09/post_fa1a.html これらの批判や、巻き起こった議論に収拾をつける目的で、乙武氏はすぐさま内容を補足したエントリーをアップした

  • 痛いニュース(ノ∀`):まるでフィクションのような風景

    6 名前:番組の途中ですが名無しです 投稿日:2006/06/07(水) 01:41:26 ID:EFd6df/D0 8 名前:番組の途中ですが名無しです 投稿日:2006/06/07(水) 01:46:40 ID:M5mE2r1r0 ? 12 名前:番組の途中ですが名無しです[] 投稿日:2006/06/07(水) 02:01:29 ID:EFd6df/D0 14 名前:番組の途中ですが名無しです[] 投稿日:2006/06/07(水) 02:02:43 ID:IAZmTSlq0 何この神スレ 23 名前:番組の途中ですが名無しです[sage] 投稿日:2006/06/07(水) 02:09:24 ID:vd0aYHHZ0 39 名前:番組の途中ですが名無しです[] 投稿日:2006/06/07(水) 02:14:39 ID:EFd6df/D0 193 名前:番組の途中です

  • たけくまメモ: 西村博之氏という存在

    前回のエントリで書き忘れたんですが、俺にとって、昔からどうにも不思議なのは、「実名」を晒すことを、多くの人が過剰に恐れすぎているんじゃないかということです。 実名だろうが匿名だろうが、他人に非難されるようなことを書かなければいいだけの話なんじゃないでしょうか。 俺、実名さらして、時には顔写真まで載っける文章書いて20数年ですけど、身の危険を感じるほど他人から恨まれたり、ストーキングされたことって一度もないですよ。(小さなクレームはしょっちゅうですし、ネットでつっこまれることはよくありますが)。 まあ仕事の原稿の場合、編集のチェックが入ることも大きいですけどね。でもライター個人としても、その文章を発表したことで生じるいろんな可能性をあらかじめ考えてから書くようにしていますけど。一方でネットでは自分の判断で発表しますが、こちらも特にこれといったトラブルはないなあ(どこまでトラブルと考えるかによ

  • ひろゆき氏「市民メディアはマスコミに勝てない」

    「市民記者」によるネット新聞がここ最近、脚光を浴びている。新聞社などの報道機関に所属する職業記者と異なり、広く一般から募った記者が執筆した記事を掲載するスタイルが特徴で、「JANJAN」や「livedoor PJニュース」などが存在感を高めており、韓国の市民記者新聞「Ohmynews」も日進出を決めた。 一方で、簡単に記事を公開できるブログの普及が進み、国内最大規模の匿名掲示板2ちゃんねる」(2ch)も健在だ。あえて「市民記者」をうたわなくても、誰でも手軽に情報発信する環境は整った。実際にブログを活用して活動するジャーナリストも登場してきている(関連記事参照)。 ブログ時代の「市民メディア」の役割とは――このほど都内で開かれたJANJAN市民記者交流会で、編集委員や市民記者が議論を交わした。ひろゆき氏こと2ちゃんねる管理人・西村博之さんも遅れて参加。「市民記者は構造的にマスコミに勝てな

    ひろゆき氏「市民メディアはマスコミに勝てない」
  • インターネットが一番美しかった日

    やべ、数年ぶりに見直したら、号泣してしまいました。 マジでヤバい。僕は普段全く涙を流さないのですが。 unix.swf ほんと、涙がピュッと水平に飛び出ましたよ。 あ、でも…… この事件が起きたのが2001年の頃だから……この騒動を知らない人もいるんですよね。 大まかなあらすじは、こんな感じです。 2001年8月26日、「2ちゃんねる」が死を迎えようとしていました。膨大な転送量を金銭面で支えきれなくなったのです(2ちゃんねるは、転送量に応じてレンタル料金が変わるサーバーを使用していました)。 次々と板がアクセス不可になっていき、自分たちが愛した場所が目の前で消えていく状況を、ほとんどの2ちゃんねらーはなす術もなく見ている他ありませんでした。 そんなとき、普段は静かな目立たない人たちが、2ちゃんねるを救うべく、とある板に集合しつつありました。 その板の名は、 UNIX板。 その後の話は、直接

    インターネットが一番美しかった日
  • 1