若き日のハイドン 楽長就任するも、すぐ解雇? 1759年にボヘミア貴族のモルツィン伯爵の楽長に就任したハイドン。 そして、安定した職についたことで、1760年11月に結婚します。 しかし、順調に進んでいたかに見えた人生も一寸先は闇。 モルツィン伯爵家の財政が、急速に逼迫してしまったのです。 伯爵父子は、お抱えオーケストラを拡大し、音楽に惜しみなく財をつぎ込んでいましたが、由緒あるとはいえ、それほど大きな所領を持っていなかったモルツィン家としては、楽長つきの楽団は身の丈には合っていなかったようです。 伯爵は、泣く泣く楽団の縮小を決断し、せっかく雇うことのできた、素晴らしい才能に恵まれた若き音楽家、ハイドンを解雇せざるを得なくなりました。 しかし伯爵は、所帯を持ったばかりのハイドンを、何の支援もなく、世間に放っぽりだすような無責任な人ではありませんでした。 素晴らしい再就職先 時々伯爵家に客と