「知将」「魔術師」と呼ばれた恩師・三原脩の薫陶を受け、ついには名将となった仰木。「仰木マジック」と呼ばれた名采配は、「三原マジック」に倣った称号である オリックス時代に、130試合中121試合が異なる打順。 光山は、こんな屈辱的な交代も経験している。 「延長戦に入って、ワンアウト満塁の場面でした。僕が3人目の捕手だったので、もう、残りの捕手は誰もいなかった。それなのに代打を送られたんです。だから、そのあとは金村(義明)さんがマスクをかぶった。あんときは生まれて初めて試合の途中で帰りました。でも、それぐらいの厳しさを持ってる人だったから勝てたんですよ。一流以下の選手は、ちゃんとやらんとはじかれるというプレッシャーを常に感じていた。いつでも自分に視線が刺さっているような感じがありましたからね」 そんな仰木の究極の選手起用法が「猫の目打線」と呼ばれた「日替わり打線」だった。 1994年、オリック