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ブックマーク / tikani-nemuru-m.hatenadiary.org (2)

  • てんかん患者運転問題に思う科学性と公正さ - 地下生活者の手遊び

    宿題をやらなきゃならにゃーのだが、さきにこちらを。 承前 てんかん患者からの免許はく奪はより深い意味を持つ - Thirのノート および、上記記事へのはてぶ はてなブックマーク - てんかん患者からの免許はく奪はより深い意味を持つ - Thirのノート このあたりの議論において、てんかん患者への自動車運転免許取得を一律に禁ずる対策には根拠がなく、社会的な公正性を考慮しない愚策であることを簡単に論証しますにゃ。 定量的議論の欠如 リスクは定量化されなければ議論をすることはできにゃー。定量化すればそれで十分というわけではにゃーのだが*1、定量化は議論の前提として必須ですにゃ。 特に、特定の疾病を持つ集団の自由を制限しようというのだから、制限を主張する側が定量的な根拠をだし、社会的な公正さを考慮する必要があるのは絶対的に必要な話ですにゃ。 ところが ブコメを見るに、「てんかん患者を車に乗せるな」

    てんかん患者運転問題に思う科学性と公正さ - 地下生活者の手遊び
  • 公共性、子育て、出産圧力、そして寄生者 - 地下生活者の手遊び

    公共性と子育て まずは前回エントリの補足から。 こどもとは他者であるから子育てには公共性があると述べたけれども、実際のところこれが自明であるというわけでは全然ありませんにゃー。 例によって倉庫に放り込んでおいた、ハーバーマスによる公共圏の成立過程を僕なりにまとめたものを参照しつつ。 歴史的に見ると、そもそも私的領域というものが、家父長を中心とした小家族の内部にできた【親密圏】からおこってきたものであり、家庭というのは私的領域の典型のはずなのですにゃ。 私的領域において愚行権が成立すると僕は再三再四いっているけれど、この愚行権というのは私的自治を担保するためのレトリックであるといえるわけにゃんね。 もしも、子育てに公共性があるという理路が成りたつとすると、家庭という典型的な私的領域に「公的なるもの」が入ってくることを認めなければならなくなりますにゃ。 倉庫に入れた文を読んでくれればわかるのだ

    公共性、子育て、出産圧力、そして寄生者 - 地下生活者の手遊び
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