詩は、言葉の一つの現象形態であり、したがってその本質からして対話的である故に、いつかどこかの陸地に、もしかして心の陸地に打ちあげられるかもしれないという、かならずしも希望にみちているとはいえない信念のもとに託された投壜通信といったものなのかもしれません。詩はこうした点でも途上にあります。詩は何かを目指しているのです。―パウル・ツェラン 「ブレーメン文学賞受賞講演」より マンデリシュタムはそこで詩人とジャーナリストの言葉の違いに言及する。詩人の言葉は誰にも向けられていないのに対し、ジャーナリストのそれはいつも具体的な一定の人々、同時代人や同世代人、隣人に向き合い、また一般社会よりも高いところに立って教え導くというのである。しかし、詩人は卑近な相手は拒むけれども、未知なる人、特定できない遠くの人、後から生まれる読者に賭ける。不可視の、しかしながら存在する対話者を必要とするのである。対話者として
先日の「スマイル0円が諸悪の根源」というエントリに関連して、 http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/12/post-107c.html 権丈先生が、以前書かれた「医療の生産性向上は国を挙げての課題!?診療報酬を引き上げれば医療生産性は上がるよ」という「勿凝学問」を本日再アップされています。 同じ話の医療版なんですが、こういうことが分からずにただでさえへとへとの医療関係者をさらに鞭でしばけば生産性が上がると思いこんでいる人々には有用なエッセイでしょう。 http://news.fbc.keio.ac.jp/~kenjoh/work/korunakare96.pdf >日本の医療の生産性が低いというのは出席者周知のこと、その原因が、診療報酬と制度改定により医療費が政策的に低く抑え続けられてきたからというのも出席者周知のこと。医療生産性を上
昨日のニコニコ生放送での私の発言について、例によって池田信夫氏のエントリのコメント欄で、信者とおぼしき方が、 http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51601521.html >ニコニコ生放送で、濱口桂一郎さんが出演されていました。司会の方が、アニメクリエイターの雇用を無理やり改善させようとしたら、海外へ雇用が移ってしまうのでは、という疑問に、その仕事がなくなれば、日本に仕事がなくなるかという話とは別だ、仕事のきつさもやりがいも報酬も低い仕事を無理やり残さなければいけないのか、他にいい求人があれば移る可能性がある、と発言されていたので驚きました。彼は、現状を理解しているのでしょうか?現状に対する認識の欠如と、官僚として安定した人生が世間でも当り前と考える世間知らずに呆れました。 と批判しています。 わたしは小峰隆夫先生ほど過激なことは言っているつも
http://blog.livedoor.jp/easter1916/archives/50505045.html 『読む哲学事典』「保守主義と左翼」がよい論点を提起しているだけに、気になるエントリなのだが……ハイデガーの「本来性」の批判的検討をしている辺りまではよいのだが……福井総裁の話を始めてからがいけません。 一般の人々は、日銀総裁の行動に疑惑を持ちながらも、テクニカルな問題にまで立ち入って判断するのが難しい。しかし、それが法規違反、ないしは日銀の内規違反とまで言えるかどうかにかかわらず、「敵」を鮮明に指定することによって、一般の人々を政治的に動員することが可能になるのである。政治的結集には、テクニカルな厳密さよりも、迅速さと明確さが必要なのは言うまでもない。 この辺まではいいです。それがプラグマティズムというものです。クルーグマンもそのような意味において、マイケル・ムーアの『華氏9
11月13日夕刻、横浜で行われたAPECでの菅直人首相と胡錦濤国家主席による日中首脳会談とは対照的だ。この会談は日本側が「やってほしい」と頼み込み、中国側が「仕方がない」と応じたとされる。 外交は血を流さない戦争であり、戦争は血を流す外交と言われる。 首脳会談一つとっても国益をかけての熾烈な戦いである。戦いであるがゆえに足元を見透かされた方が負ける。外交交渉は願望が強いことを見せた方が弱い立場に置かれるものだ。 日本側が「会談をやってほしい」と頼み込んだ時点で勝負はついていたと言える。 9月の尖閣沖漁船衝突事件以降、菅政権の拙劣な対応により、日本は血を流さない戦争に全面敗北した。日中首脳会談の菅首相は、さながら降伏調印式の全権代表のようだった。 実現した会談たるや通訳を入れて約20分間。ほとんど内容もなく挨拶程度に終始し、何ら見るべき成果はなかった。会談を持つこと自体が目的化した茶番劇であ
欧州の経済危機では、財政と金融の危機が複雑に絡み合っている。ここ数年の金融危機のために欧州の銀行システムが脆弱になっていたところに、ギリシャの財政危機が重なり不安が市場に広がった。欧州経済は5月の混乱に比べれば小康状態になったが、「出口」はまだ遠い。今後かなり長いスパンで、ユーロの信認をめぐって不安が付きまとうだろう。 財政問題を抱えている点では、日本も同じである。日本経済は昨年3月に底を打ち、輸出主導の景気回復を続けているが、予断を許さない状況だ。そんな中、新たに発足した菅直人政権は「成長と財政再建の両立」を打ち出した。 ◆◆◆ 経済成長の原動力は需要の拡大と供給サイドの技術進歩である。まず需要面では、日本には高齢化の巨大な波が襲っているため、内需が短期間で劇的に拡大するとは期待できない。当面は、昨年末の「新成長戦略」の基本方針でも指摘しているとおり、アジア市場との一体的な成長を目指すこ
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今年のクリスマスの時期には、ディケンズのクリスマス・キャロルのスクルージが各所で言及されていたが、その中で個人的に面白かったのは、Econlogのデビッド・ヘンダーソンのクルーグマン批判であった。 ヘンダーソンの批判の対象となったのはクルーグマンの12/23NYT論説で、そこでクルーグマンは、路上で*1寄付を求められた時に「監獄は無いのか?」と応えたスクルージを反福祉国家主義者として捉えている。 それに対しヘンダーソンは、実際のクリスマス・キャロルの該当の会話を続きを含めて引用している*2。 「監獄はないのですかね」と、スクルージは訊ねた。 「監獄はいくらもありますよ」と、紳士は再びペンを下に置きながら云った。 「そして共立救貧院は?」とスクルージは畳みかけて訊いた。「あれは今でもやっていますか。」 「やって居ります、今でも」と、紳士は返答した。「やっていないと申上げられると好う御座います
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