ブックマーク / shinichiroinaba.hatenablog.com (23)

  • 木庭顕先生よりメール転載 - shinichiroinaba's blog

    木庭顕先生の「日国憲法9条の知的基礎」(『法学セミナー』2019年8月号)を読んでの吉良貴之氏のブログエントリを受けてのツイッターでのやり取り、とりわけ私のスレッドに対して、木庭顕先生よりメールでコメントをいただいたので、行分け等修正したうえで転載する。転載の許可はいただいている。 非軍事化の達成、集団の実力の克服、のために、軍事化のメカニズムである、「半族」を利用したInitiationがかかわっているというのは、ギリシャ史学では、Vidal-Naquetの有名な研究があり、それによると、しかしこの軍事化メカニズムを掘り起こしかつ徹底的に神話化儀礼化する加工にポイントがあります。 これは私の見解ですが、この点ローマに関してBruniも気づいていました。 これがどこに来るかと言えば、政治的人文主義ないし共和主義の文脈で(アメリカで)市民軍が礼賛されることがあるが、それはリアルと儀礼を混同

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    haruhiwai18
    haruhiwai18 2020/03/27
    "9条はそれではなく、極めて現実的法的なデヴァイスで、従来の政府の立場を強く基礎づけるもの""防衛のためのよく限定された、しかし高度な組織と装備を持つことを指示するもの" →「戦力」でない程度の軍事力
  • エドワード・ルトワックと木庭顕 - shinichiroinaba's blog

    『エドワード・ルトワックの戦略論』を読んでいて開巻早々に驚くべき記述に出くわす。 ここで私が展開する主張は、さまざまな逆説的命題や露骨な矛盾を抱えていても、戦略は必然的に妥当な考えを伴うということではない。むしろ、戦略の全領域が逆説的論理に満ちている、というものである。それは、生活の他の全領域で適用される通常の「直線的」論理とはまったく異なるものだ。生産と消費、商業と文化、社会・家族関係と合意に基づく政治であれば紛争は存在しないか、あるいはそれらの諸目的に付随するにすぎない**。その場合、闘争や競争は、常識に基づく法や慣習といった矛盾のない直線的論理に基づくルールによって抑制される。しかし、戦略の領域では、人間関係が、実際の、あるいは起こり得る武力紛争によって左右される。そこでは、まったく異なる別の論理が働き、反対の一致や逆転を促すことによって通常の直線的論理に常に背くことになる。したがっ

    エドワード・ルトワックと木庭顕 - shinichiroinaba's blog
    haruhiwai18
    haruhiwai18 2018/10/10
    "戦略の全領域が逆説的論理に満ちている…それは 生活の他の全領域で適用される通常の「直線的」論理とはまったく異なる" →「軍事をやや特別視するきらいがないではない」とamazonレビューで言われるルトワック(小波
  • 「労使関係論」とは何だったのか(8) - shinichiroinaba's blog

    氏原正治郎を中心とする「東大学派」とでも呼びうる労働問題研究者集団に実体があったのはおそらくは1960年代半ばまでであり、その最後の世代は1930年代生まれの研究者たちである。その次の世代的な集団はおおむね1950年前後生まれの「団塊の世代」およびその後続世代の研究者たちであり、大学闘争を経験したこの世代においては、すでに「東大学派」としての連帯感はおおむね過去のものとなっている。 既に30年代生まれの世代において、研究者養成における徒弟制的な風潮が相当程度払拭され、その意味でも研究者集団の一体性は解体の方向に向かっていた。大学闘争の余燼の中、後続世代はそうした空気を自明のものとして受け入れ、薫陶は受けるが指導は受けない、という形で研究者としてのキャリアを形成した。 この50年前後世代の研究者たちに、理論・方法論の面で最も強い影響力を発揮したのは、おそらくは中西洋である。研究者としての中西

    「労使関係論」とは何だったのか(8) - shinichiroinaba's blog
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    haruhiwai18 2017/11/21
    "そもそもはじめから、いわばその「自生的秩序」のレベルにおいて閉鎖的・非対称的・垂直的な身分関係をもはらんだ領域として「市民社会」を理解する、というアプローチ" →最初から非対称的関係を持つ市民社会
  • おもいつきでしゃべったこと - shinichiroinaba's blog

    大したことではない(別段独創的ではないし文献学的には間違いも含んでいるだろう)が一応メモ。 =============== 17世紀あたりを近代社会科学の出発点とし、トマス・ホッブズやジョン・ロックで代表させるのは、彼らが「自然状態」という理論装置を用いているからである。彼らは神様を信じてはいるが、神様の仕事は天地創造、そして人間を今あるような存在として創造したところで終わっていて、あとは介入せず(奇蹟は起こさず)、社会の構築は人間に任されている、という形に議論がなっている。これはちょうどアイザック・ニュートンが神様の仕事を自然法則を作るまでで終わらせていることに対応する。 しかしホッブズやロックよりも、ベネディクト・スピノザの方が更に吹っ切れた近代性を感じさせることは言うまでもない。はっきりと民主政を支持しなかったホッブズ、ロックと比べて明確に民主政を最優位に置いたあたりもそうだが、もっ

    おもいつきでしゃべったこと - shinichiroinaba's blog
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    haruhiwai18 2017/04/28
    "信仰ある人々にとって神は対話可能な他者であってくれなければ困る。そしてまた当然に、自由意志を持っていてもらわなければ困るでのある。" →「信じる者は救われたい」案件。/すがりたい対象。
  • 日本の労使関係論をめぐりコピペ - shinichiroinaba's blog

    氏原熟練論の継承としての小池「知的熟練」論 戦後日の労働調査の中心となったのは,大河内一男,隅谷三喜男,氏原正治郎を代表とするグループであった。内部にさまざまな見解の違いをはらみつつも,このグループは,敗戦直後からじつに精力的に実態調査を積み重ねてきた。その主要なものは『戦後日の労働調査』(労働調査論研究会[1970])にまとめられている。 今日から見て注目されるのは,内部労働市場という言葉こそ使用されていないものの,このグループはすでに内部労働市場についての詳細な調査をおこなっていたことである。その代表的調査は『労働組合の構造と機能――職場組織の実態分析――』(大河内/氏原/藤田[1959])である。この調査の問題関心は,労働組合活動が草の根の職場で空洞化しているのではないか,労働組合の職場闘争にどのような可能性があるのか,という点にあった。この問題に解答するためには,そもそも生産職

    日本の労使関係論をめぐりコピペ - shinichiroinaba's blog
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    haruhiwai18 2013/11/07
    "60年代までは小池は先行研究に言及し…自説との異同をきちんと明示""しかし70年代以降,小池は先行研究や研究史に言及することなく""小池熟練論のコアが氏原熟練論であることは隠され" →「おい、小池!」シリーズ(違
  • 6月21日「BRAINZ 人文系の壁 第1回 憲法」稲葉配布資料 - shinichiroinaba's blog

    配布資料ですからこの通りしゃべったわけではありません。対談だし。 =========================== ☆第二次安倍政権下での自民党その他の改憲案を巡る動向についての雑感 ・改憲案自体ならびにその議論のされ方の特徴:96条(改正条項)が一番の焦点 ついで人権 平和主義(9条)はそれほどでもない ・プロの憲法学者の反応:意外に遅い。格的な動きは春以降? 冬の時点では「世田谷事件」の最高裁判決(2012年12月7日)の方に注目が集まっていた。 推測される理由:今回の自民党草案その他の改憲案がいずれも「出来が悪すぎて真面目に検討するに値しない」ものだったから → 法律素人の疑問 「機械や建物であれば、あまりにお粗末な設計のものはそもそもものとして完成しないし、完成したところでまともに動かないだろうが、法律の場合には、あまりにお粗末でもとりあえず手続きを踏めばできてしまうかもし

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    haruhiwai18 2013/10/14
    "「比例原則」という考え方で…最高裁の憲法判断のロジックを内在的に再構成し…憲法解釈に応用しようとするのが石川健治""行政法を中心に民法その他「普通の法律」の解釈論の知識が必要" →日本の憲法学の流れ。
  • 共和主義・共同体主義の経済学・試論 - shinichiroinaba's blog

    コミュニタリアンに肩入れする理由などないのですが、「俺がコミュニタリアンだったらこう論じる」って感じかな。 以上のように考えるならば、我々は、共同体主義、ないしは共和主義の経済理論、政治経済学、というものの可能性についても考えることができよう。 共同体主義、共和主義の独自の立場からの一貫した経済政策論、経済体制構想はあまり見受けられない。比較的多岐にわたる論点を取り上げたマイケル・ウォルツァーの『正義の領分』などを見ても、リベラル左派の福祉国家論、社会民主主義的混合経済体制論と有意に異なる議論が提示されているわけではない。 共和主義者、あるいは共同体主義者においては、「政治」のパラダイムは周知のとおり西洋古典古代、ギリシアのポリスや共和政ローマに求められるわけであるが、「経済」のパラダイムが不分明である。古典期の共和政、デモクラシーの経験が、一見したところとは違って近代以降の議会制、政党制

    共和主義・共同体主義の経済学・試論 - shinichiroinaba's blog
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    haruhiwai18 2013/04/06
    "道徳的…人間は 杓子定規にルールを適用しない""「徳」とは…他人にとって理解可能な主体であろうとして一貫した合理的な行動をとろうとする態度" →後者の点において 某維新の会に"徳"が無いのが良く分かった(違 w
  • 「疎外」「物象化」をめぐってあれこれ無秩序に - shinichiroinaba's blog

    考え方はいろいろあって、まず「マルクスの思想は現代経済学ゲーム理論と整合的である」という大前提から出発する。そうするとここで「だからマルクスも再読に堪える」という考え方も出てくれば、逆に「だったらマルクスイラネ」という考え方も出る。この違いはどちらが正しいか、という問題ではない。要はそれぞれの受け手の側での事情の違いである。マルクスを含めた「思想」によりなじみの深い人文系インテリにとって「だからマルクスも再読jに堪える」という結論には十分に意味がある。こうした層にとってはマルクスと併せ読むことによって、現代経済学ゲーム理論の理解がはかどる可能性があるからだ。 ただそれだけで済ますわけにもいかない。 山形の場合も「だったらマルクスイラネ」という結論は、何の気なしに出されているわけではない。マルクスには激烈な副作用があり、その副作用を勘案するならば、なくてすませられるなら敬して遠ざけるに越

    「疎外」「物象化」をめぐってあれこれ無秩序に - shinichiroinaba's blog
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    haruhiwai18 2012/12/23
    "特定の「型」からならば自由にはなりえても、全くいかなる「型」をも持たずに生きることは…できない""見田宗介…シンプルな経済成長礼賛論…、それを通じてしか環境危機も克服できない、と" →疎外と物象化。
  • マクレガー・ノックス&ウィリアムソン・マーレー編『軍事革命とRMAの戦略史 軍事革命の史的変遷1300〜2050年』(芙蓉書房出版) - shinichiroinaba's blog

    http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4829503432/interactivedn-22 軍事革命とRMAの戦略史―軍事革命の史的変遷1300~2050年 作者: マクレガーノックス,ウィリアムソンマーレー,MacGregor Knox,Williamson Murray,今村伸哉出版社/メーカー: 芙蓉書房出版発売日: 2004/06/01メディア: 単行 クリック: 20回この商品を含むブログ (5件) を見る 軍事変革を中心としつつそのインパクトが社会体制全体に及ぶ「軍事革命Military Revolution」と、狭い意味での軍事的イノベーションたる「RMA Revolution in Military Affairs」の概念的区別と、軍事革命・RMAの歴史的研究の必要性を力説する。 ここで注意すべきは「軍事革命」の概念は、195

    マクレガー・ノックス&ウィリアムソン・マーレー編『軍事革命とRMAの戦略史 軍事革命の史的変遷1300〜2050年』(芙蓉書房出版) - shinichiroinaba's blog
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    haruhiwai18 2012/10/30
    "近年のRMAブーム、ハイテク礼賛の風潮が、かつて兵士だった彼らを苦しめ、屈辱的な敗北に追い込んだマクナマラ流の似非合理主義の再来にしか見えない" →永井陽之助『現代と戦略』もまた参照。
  • 三宅秀道氏初の単著 - shinichiroinaba's blog

    新しい市場のつくりかた 作者: 三宅秀道出版社/メーカー: 東洋経済新報社発売日: 2012/10/12メディア: 単行購入: 4人 クリック: 243回この商品を含むブログ (18件) を見る id:fuku33氏の単著ようやく上梓されるとのこと。 三宅君はご存じのとおり学に非常勤に来ていただいた時にちょっとしたドジを踏んだり、いろいろとエキセントリックなところがあってそれを差し引いてもちょっと保守的で右翼的でいろいろ意見の合わないところもあるんだけど、藤隆宏の衣鉢を継いでおそらくは日の経営学の明日を担うであろうひとりであるので、ぜひご注目いただきたいと思います。「現場と理論の往還」をスローガンに終わらせていない稀有な学者だと思う。

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    haruhiwai18 2012/10/10
    "いろいろとエキセントリックなところがあって…ちょっと保守的で右翼的でいろいろ意見の合わないところもあるんだけど、藤本隆宏の衣鉢を継いでおそらくは日本の経営学の明日を担うであろう" →凄い推薦文w
  • たとえばアレントの言う意味での「政治」とは何か - shinichiroinaba's blog

    について、アレントを直接には一顧だにせず、古典期ギリシア・ローマの一次資料に即して行われている木庭顕の仕事を参考にして考えてみるとどうなるか。 木庭によれば古典期ギリシアのポリス社会、そこでのデモクラシーと、共和政ローマは意外なほど近しい。共和政期のローマは明確にデモクラシーに到達していたのであるし、そこでの貴族と民衆との対立、あるいは元老院と民会といった階層構造の対応物は、しばしば「直接民主政」とくくられてしまうギリシアのポリスにも存在する(評議会と民会)。 そしてローマにおける「法」は、いわゆる(後の)公法(に対応するもの)のみならず、後世のいわゆる「ローマ法」の核心をなすところのいわゆる「私法」「市民法」まで含めて、あくまで、政治システムの一環、古典期ギリシア・ローマ的な意味での「政治」の延長線上にある。 アレントらのいうところの公と私の厳然たる区別、そしてあくまで公的な営為として古

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    haruhiwai18 2012/07/04
    "武装能力という意味での自律的な勢力が 私的な領域に根を張って自存""関係者の信義、善意、誇りに則って取引を回そうとする世界""ローマにおける公務は基本的に「持ち出し」「寄付」" →良記事だが タイトル詐欺気味w
  • 『岩波講座憲法1 立憲主義の哲学的問題地平』における長谷部恭男包囲網 - shinichiroinaba's blog

    http://www.bk1.co.jp/product/2782737?partnerid=p-inaba3302385 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4000107356/interactivedn-22 やはり公私を区分するジョン・ロールズの政治的リベラリズムと異なり、長谷部〔恭男〕が立憲主義を不自然な、人々に無理を強いる選択だと強調するのは、実は長谷部が公的領域での政治的発言に広く「公益」による歯止めを求めているからではないか(中略)。長谷部の「社会の共通の利益」考慮の要求は、既に政治的発言自体に向けられている。各個人は、他人に対して働きかけようとする際には常に、その前に自分の内心で、表現しようとする内容が自分の私的思想の表明ではなく社会全体の利益にかなっているのかを吟味しなければならない。表現の「自由」が思ったことを言う自由を意

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    haruhiwai18 2011/11/04
    "長谷部先生も…「専門家」エリートの…優越はあくまでも短期的にのみ""長期的には…多数決などの民主主義的装置に信頼を寄せていると思われ" →まあ 恐らくそうなんだろうなあ。/もちろん長期にはみな死んでい(ry ww
  • 「神的暴力」について - shinichiroinaba's blog

    たしかレヴィナスが「形而上学に倫理学が先行する」という趣旨の発言を何度かしていたと思うが、それはあまり正確ではない、あるいは今日風の言い回しとは違う、という気がしている。あえて言うならばそれは「形而上学と倫理学に神学が先行する」とでも言うべきなのではないか。もちろんここでいう「神学」とはキリスト教など特定宗教の教義学というわけではなく、今日風の学問区分なら哲学の中のそのまた形而上学ということになるのだろうけれど。 形而上学、この文脈では「存在論」と言い換えた方がよいのだろうけれど、レヴィナスが『全体性と無限』などで「形而上学(よく知られているように「全体性」はこちらに対応する)は倫理学(「無限」はこちらに対応する)に先立たれている」と主張することの含意は、いくつかの解釈を許容するだろうが、それ自体そうわかりにくくも突飛でもない。少し飛躍するがたとえば今日の宇宙論における「人間原理」をめぐる

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    haruhiwai18 2011/10/22
    "「人の道を踏み外す」ことの否定したうえではじめて、我々は安全かつ有意義に「存在論」を云々することができる、ということなのだろう" →ハイデガーの存在論に 「殺す/殺される」の要素が無かった件について。
  • フーコーと三つのリベラリズム? - shinichiroinaba's blog

    http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20090519/p2を承けて。 『生政治の誕生』でフーコーは、新自由主義を単なるスミス的な古典的自由主義の回帰ではない、と明言している。 アダム・スミス、マルクス、ソルジェニーツィン。自由放任、商業とスペクタクルの社会、強制収容所とグラーグの世界。おおざっぱに言って以上が、新自由主義の問題を扱う際に通常用いられる分析と批判の三つの母型です。(中略)私がみなさんに示したいと思うこと、それは、新自由主義はやはりそれとは別の何かであるということです。(162頁) 今日ではすっかり忘れられつつあるフライブルク学派の経済学・経済法学、旧西ドイツのオルドリベラリスムス、「社会的市場経済」を標榜する経済政策思想と、今日なお「新自由主義」の典型とみなされるシカゴ学派の経済学とをともに「新自由主義」とフーコーが呼ぶ理由は、単にその

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    haruhiwai18 2011/07/31
    "福祉国家や厚生国家は、全体主義国家…と…同じ根元や同じ起源を持っていもいない" →色々考えたけど、結局、議会(及び、そこで行われる利害調整)に対する態度の違いくらいしか思いつかなかった orz
  • 復習 - shinichiroinaba's blog

    ハンナ・アレント的、あるいは藤田省三的な意味での「全体主義」概念を軸として、自分のこれまでの規範理論的な作業を振り返ると、以下のようにまとめられる。 『リベラリズムの存在証明』においては、非常に強い意味でカント的な――「独我論者同士の相互承認と連帯」としてのリベラリズムは、アレント的な意味での全体主義に抗しうるか、と問いかけたうえで、否定的な解答を出さざるを得なかった。すなわち、いったん成立した全体主義体制を、その内側から突き崩すような力を、リベラリズムという社会編成原理は持ちえない、と。 それに対して約10年後の『「公共性」論』では、問いのレベルと方向がずらされた。相変わらず、アレント的な意味での全体主義に対して、リベラリズムは実践の原理としては無力である。しかしここでは、まさにそのことをもってして、全体主義は否定されるべき原理であることが明確とされる。逆に言えば『存在証明』では、「全体

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    haruhiwai18
    haruhiwai18 2011/07/18
    "「他のようでもありうる可能性」から人々を遮断する全体主義""いったん確立した全体主義を内側から突き崩す運動は…引き起こせない" →対策として、立憲主義の徹底か、"戦う民主主義"の厳格化、しか思いつかない orz
  • 内閣府「社会保障・税一体改革の論点に関する研究報告書 」より - shinichiroinaba's blog

    吉川洋・井堀利宏両氏主導の主文と有識者コメントからなる。 第1部は逆進性を焦点に消費税と社会保障について。主文では「引退後も含めた生涯所得ベースで考えれば逆進性はそれほどではない」というが、ロスジェネを中心とする流動性制約のきつい(貯蓄がない、借金できない)層を軽視しすぎという批判がありうる。 第2部では消費税とマクロ経済との関係について。主文では97年の消費税引き上げ後の景気後退について、「必ずしも消費税の影響ではない」と主張し、「増税のタイミングは、不況期は避ける一方で、好況期においても景気後退の引き金となる危険があるので、契機の上昇局面だが頂点ではないところをねらう」と論じた上で、国債が積みあがる前に早めの増税を主張している。しかし有識者の中には、明確に消費税の景気引き締め効果を指摘し、現時点での引き上げに明確に反対する声もある(チャールズ・ユウジ・ホリオカ、八田達夫)。 http:

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    haruhiwai18 2011/06/02
    "「引退後も含めた生涯所得ベースで考えれば逆進性はそれほどではない」というが、ロスジェネを中心とする流動性制約のきつい(貯蓄がない、借金できない)層を軽視しすぎ" →一番問題なのはこの箇所だろうなあ
  • 増税論について - shinichiroinaba's blog

    「増税論者にせよリフレ派にせよこの非常時にかこつけて平時以来の年来の自分に主張を更に押し込もうとする火事場泥棒だ」というお叱りを頂戴しておりますが。 「リフレ派」と目されている人の一部に現状を慨嘆するあまり「革命でもせなだめだ」と毒を吐いているものがおりますが、これは基的には心が弱ったせいでの愚痴であって気でとっていただきたくはない。「リフレ派」の基調は反「根病」の石橋湛山主義であり根っからの日和見改良主義である。 むしろ、日ごろの原理原則を三百代言でごまかしつつ貫徹しようとするあくどい革命論者はどちらかといえば増税派の方である。 一部の左派や社民の方々には、福祉国家を充実するための増税論に革命的主体としてコミットしておられた向きもおられるだろうが、現下の状況が果たして、皆さんの理想とする「革命」にふさわしいかどうか、今一度よく考えていただきたい。ある意味でこの「非常時」はどさくさに

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    haruhiwai18 2011/04/24
    "「増税」という革命を達成できたならば…無慮数万の犠牲者が出る。失業率と自殺率、犯罪発生率の正の相関は誰にも否定できない" →"失業モッタイナイ"運動を起こして、失業率ターゲットを説きませう http://p.tl/2_fr
  • なぜ私はローマ法にろくな素養もないのに突撃をかけようとしているのか - shinichiroinaba's blog

    自分でもよくわかっているわけではないのだがたとえば(これはあくまでも一例でしかない、自分はホームレス問題について深刻な関心を持ってはいない)、ホームレスの公園「占拠」を巡る事件において、事実としてではなく権利としての「占有」の意義が下手をすれば浮上しかねない、といった話が妙に頭の隅に引っかかっている。 そして木庭顕先生は、あろうことか「法の核心は占有にあり」ととんでもないことをおっしゃる。世界のどこにでも普遍的にある広い意味での「法」ではなく、今日の我々の実定法、市民法と司法のシステムとそれを支える学理としての「法」の核心は、もちろん「人権」などではないがさりとて「所有」でもなく、今やほとんど死にかけてその意味も見失われている「占有」である、と。しかしそのことはローマ法、それも「所有」概念とともに爛熟期を迎えた帝政期のではなく、共和政期のそれを見なければわからない、とも先生はおっしゃる。

    なぜ私はローマ法にろくな素養もないのに突撃をかけようとしているのか - shinichiroinaba's blog
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    haruhiwai18 2011/01/24
    "「金貸しと顧客」「地主と小作」…そうした非対称関係から出発し…「持てる者同士の同時的・水平的交換」が展望されるのでは" →まず初めに借りる人と貸す人がいた、という話/なら、まず何が貸借されたのかな。
  • 田島先生「左翼の言説戦略」 - shinichiroinaba's blog

    http://blog.livedoor.jp/easter1916/archives/50505045.html 『読む哲学事典』「保守主義と左翼」がよい論点を提起しているだけに、気になるエントリなのだが……ハイデガーの「来性」の批判的検討をしている辺りまではよいのだが……福井総裁の話を始めてからがいけません。 一般の人々は、日銀総裁の行動に疑惑を持ちながらも、テクニカルな問題にまで立ち入って判断するのが難しい。しかし、それが法規違反、ないしは日銀の内規違反とまで言えるかどうかにかかわらず、「敵」を鮮明に指定することによって、一般の人々を政治的に動員することが可能になるのである。政治的結集には、テクニカルな厳密さよりも、迅速さと明確さが必要なのは言うまでもない。 この辺まではいいです。それがプラグマティズムというものです。クルーグマンもそのような意味において、マイケル・ムーアの『華氏9

    田島先生「左翼の言説戦略」 - shinichiroinaba's blog
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    haruhiwai18 2010/12/28
    "ディープスロートからの極秘情報なんかに頼らないからこそ、真実を的確に見抜ける…日本の新聞の政治経済記事なんか見てると「分析」の欠如にほとほと絶望" →大本営発表垂流しより、きちんと分析された公開情報を
  • 「救命艇問題」 - shinichiroinaba's blog

    その昔書いたメモ。何かがまだ欠けている。たとえば「単なる遭難者にとっての、遭難者同輩を助ける義務と、救助隊員にとっての遭難者救出義務、そして為政者の義務」の比較検討とか。 来登山とか危険なアウトドアスポーツに詳しくない人間の論じるべきことではない。 ======= 救助隊員のあなたが、沈没事故の連絡を受けて現場に急行したとしよう。ところが、救助隊員のあなたが乗っている船には一人分の余裕しかないのに、現場では二人の人間が溺れていたとしよう。(中略) いつも不思議なのは、人間の生死は最も重大な問題であるはずなのに、最も算術的に処理しやすい問題になってしまうということである。二人を救助する方が一人を救助するよりも正しいということには、2が1より大きいということ以外に根拠はない。二人を救助できない場合には一人を選択して救助するのが正しいということには、マイナス2よりマイナス1が大きいということ、

    haruhiwai18
    haruhiwai18 2010/12/27
    (要旨)そもそもこんな極限状態の問題考えた奴の"責任"は問うべきだけど、そうならないよう事前対策がやはり一番。でも"全員が生き残るか、それとも全員が死ぬ世界"にするのは、やっぱりやりすぎですよ、小泉先生