サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
就職氷河期世代の「人生再設計第一世代」への言い換えは、原因の自己責任化と同時に、「再設計」のための「支援」もしてやったのに立ち直れなかった以上仕方ない、と最終的に切り捨てるための、周到な自己責任化の上塗りですので、単なる言葉遊びではありません。
「差別は悪い人がするもの」と誤解している人は、自分を差別する人は悪人だと考えるでしょうし、ほかならぬ自分の差別が批判されたときは、私は悪人ではないので、自分の行なうことは差別ではありえない、と考えてしまうでしょう。
日本の研究者クラスタでこれをやったら、一瞬で全ての信用を失うと思うのですが、「アメリカの大学や大学院」では、社会調査のイロハについては一切教わらないのでしょうか。 https://t.co/1e8g3TCW4L
マイノリティについて「素朴な疑問」を自分が"納得"できるまで発し、その上で受け入れるか/受け入れないかをジャッジする側に立つことを、マジョリティは当然の「権利」と思いがちですが、まずその踏み台から降りないかぎり、フェアな対話など始まり得ないわけです。
まさしく全体主義下においては、このような論法で、一人ひとりの無力な市民は、自らを黙らせていくわけです。 https://t.co/arRbQRq8uC
社会学の人間としては、ある発言が当該社会において発話効果として「どのように読まれうるか」の方を問題にせざるを得ないのですが。この社会はそうでなくても「反差別の人間はこの差別には文句を言わないのか」という不当な難詰に溢れているのでは… https://t.co/mJD77VgDjB
誰かが望まぬ/強制された状況から抜け出せなかった期間が長くなるほど、それは自発的な「同意」としてみなされる、という考え方、恐ろしく顛倒しているわけですが、ネオリベ的価値観とはもちろん親和的なのでしょうね。
ランキング
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く