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  • 文学にみる障害者像-『素顔の塙保己一―盲目の学者を支えた女性たち』

    田中徹二 保己一物語 著者の堺正一は、埼玉県の特別支援学校などで教鞭を執り、埼玉県立盲学校(現、埼玉県立特別支援学校塙保己一学園)校長を務めた人である。現在、立正大学社会福祉学部社会福祉学科教授だ。 書は、第1章盲学者・塙保己一小伝―世のため、後のために、第2章塙保己一を支えた女性たち―長女とせ子の回想、第3章あれから―今に生きる塙保己一の3章から成っている。第1章、第2章は、読みやすさを主軸にし、史実に基づく伝記というより、史実を基に著者が創作した物語である。特に第2章は、長女が保己一の死後、父を回想するモノローグになっている。書の特色は、この章にある。因(ちな)みに第3章は、保己一にまつわるエピソードが紹介されている。 保己一といえば、『群書類従』『続群書類従』の編纂者であり、江戸時代の国学者として、また和学講談所で学問を教えたことで有名だ。目が見えないのに、対面で読んでもらい多く

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    haruhiwai18 2017/07/02
    "保己一を取り巻く女性関係は、たとえ男尊女卑の封建制度の中にあっても複雑すぎる。学問にかまけて、家族の心の動きにはいっこうに頓着しない世間知らずの保己一が透けて見えるようだ" →大学者の影
  • 文学にみる障害者像-「青い芝の会」と絶望の哲学

    「青い芝の会」と絶望の哲学 ―横田弘詩集『まぼろしを』― 荒井裕樹 横田弘。主に1970~80年代に、何らかの形で「障害者問題」に関わったことのある者であれば、この名前に特別な感慨を抱くのではないだろうか。特に彼が率いた団体「日脳性マヒ者協会青い芝の会神奈川県連合会」(以下「青い芝の会」と表記)の強烈な印象と相まって、市民運動の熱い季節の記憶が彷彿(ほうふつ)としてよみがえることだろう。 誌の読者には、あらためて「青い芝の会」について説明する必要もないだろう。同会は街頭カンパニアや座り込み、また時には実力行使も辞さない強硬な態度によって、社会に多大な衝撃を与えた脳性麻痺者らによる運動団体である。「青い芝の会」は全国各地に支部を持ち、それぞれに主義や主張が異なるため、このように一括りにして説明することに抵抗がないわけではない。しかし60年代には穏健な親睦団体だった同会が、日の障害者運動

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    haruhiwai18 2017/06/29
    "もしも本当に「共生」ということがあり得るとすれば、それはこの渦巻く「業」を突き抜けた果てにある""絶望の底の裂け目に生じる、儚(はかな)い光の破片のようなもの" →青い芝の会の覚悟である。
  • 「健康な社会」とは何か

    1000字提言「健康な社会」とは何か市野川容孝 つい先日、職場で健康診断があって、「軽度の高脂血症を認めます」という所見を頂戴した。総コレステロールの数値が、正常値「150~219」のところ、「222」だったからだ。私たちが通常、抱いている「健康」のイメージは、境界をもったある域内(たとえば正常値)に行儀よく収まっていること、あるいは1日3回の事、8時間の睡眠という規則正しい生活を送っていることだろう。その逆に、「病気」とは、境界からはみ出ること、不規則な生活としてイメージされる。 しかし、科学哲学のG・カンギレムは、健康や病気に関する私たちのこうした常識を根から揺さぶる。カンギレム曰く「健康を特徴づけるものは、一時的に正常と定義されている規範をはみでる可能性であり、通常の規範に対する侵害を許容する可能性、または新しい場面で新しい規範を設ける可能性である」(『正常と病理』法政大学出版会

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    haruhiwai18 2016/08/12
    "規則正しい生活しか送れないこと、それが病気""「健康」な人間しか受け入れることのできない、どんなずれにも耐えることのできない社会" →健康とは「寛容さ」の具合なのかもしれない(こなみかん
  • 落語『一眼国』にみる障害者観

    文学にみる障害者像落語『一眼国』にみる障害者観小野隆 落語は文学なのかな、という問いに対して碩学の花田春兆氏が「書かれたものだけが文学ではないよ」と応じられた。そんなことから落語の演題の中から『一眼国』を捜した。もちろん、林家正蔵(のちの彦六)のものはラジオ時代に聞いたことはある。話の顛(てん)末は覚えているが、細部を、という段になると、これがやはり書物に頼らざるを得ない。筑摩書房から『古典落語正蔵・三木助集』が出ていた。 噺(はなし)は文化文政頃に作られたもののようで、この頃には、「大入道」「三足の女」「首なし」などが盛んに高座で演じられていたというから、科学と合理主義で固められたような今日では、考えられない新奇の眼と好奇心で、江戸の住人衆は接したことだろう。 当時、すでに隅田川に両国橋が架けられていて、橋のたもとの両国広小路には芝居小屋、軽業小屋、見世物小屋、講釈場などが建ち並び、

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    haruhiwai18 2015/05/23
    "落語『一眼国』にみる障害者観""「…一つ目部落に踏み入ったらめずらしいとつかまって見世物にされてしまう、…正常・異常の別は数の多少にすぎず、価値の高低ではない」" →榎本滋民『葦原将軍』(1968年)の台詞
  • 文学にみる障害者像-『もうひとつの太平洋戦争』

    障害者の太平洋戦争を記録する会編 代表 仁木悦子 『もうひとつの太平洋戦争』中島虎彦 これは小説家の仁木悦子氏が、夫の翻訳家である後藤安彦氏らとともに、太平洋戦争中の障害者たちの知られざる実態を、全国から作文や短歌や俳句や川柳として募集し、一冊に編集したものである。戦争当時の体験を書き残され(あるいは語り残され)たものは多いが、またその作者たちの熱意と責任感には打たれるが、残念ながら障害者の声が含まれている例はきわめて少ない。 そういう貴重な資料でありながら、今では絶版となり在庫もないようなので、私は障害者関係のを専門に扱っている「スペース96」の久保耕造氏から私蔵のものを譲ってもらった次第である。 仁木悦子氏は胸椎カリエスの障害を抱えながら推理小説を書き、29歳の時『は知っていた』で第3回江戸川乱歩賞を受賞している。仁木兄妹探偵シリーズなどで読者を獲得した。小説に『暗い日曜日』『夢魔

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    haruhiwai18 2015/05/23
    "長野県が戦場になった時は、これを使って障害児を処分するようにと、毒薬を渡したそうです。つまり障害児はいざというとき処分の対象になる動物園の動物と同じに見られていた" →「アジア解放戦争」とやらの実際
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