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  • 伊藤博文と山尾庸三が塙忠宝を斬殺したこと | tomotake kinoshita

    塙の息子・塙忠宝は伊藤博文と山尾庸三によって暗殺されたという渋沢栄一の述懐があるそうです。よく知られるように、伊藤は生前から史料をよく残していました。これを活用した伝記、春畝公追頌會編『伊藤博文傳』を取り上げます。これは伝記のなかでも一次史料を多く使っている詳細なものです。ここから塙忠宝に関するくだりを読んでみましょう。 第四章 勤王攘夷(下) 曩(さき)に安藤信正を坂下門外に要撃せし激徒の斬奸状に、廃帝の故事を取調べたる一箇条ありしが、その取調の任に当りし者は、国学者塙次郎(忠宝)なることが判明した。ここに於いて、公(伊藤)は、先づ山尾庸三と共に国学入門と称し、塙を麹町三番町の住宅に訪ね、その面貌を見定め置き、文久二年十二月二十一日の夜、塙が他所よりの帰宅を待受け、その住宅附近に於いて国賊と呼びかけ、これを斬殺した。 (『伊藤博文傳』上巻、73頁、昭和15年、旧字をあらため、括弧は補足し

    伊藤博文と山尾庸三が塙忠宝を斬殺したこと | tomotake kinoshita
    haruhiwai18
    haruhiwai18 2013/11/22
    "伊藤は生前から史料をよく残し""伝記、春畝公追頌會編『伊藤博文傳』""文久二年十二月二十一日の夜、塙が他所よりの帰宅を待受け、その住宅附近に於いて国賊と呼びかけ、これを斬殺" →伊藤博文が暗殺をやった話。
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