給料取り(サラリーマン)の会議は、高い給料の人間を一定時間拘束するわけですから大きなコストがかかります。会議がなければもっと他の儲け仕事をできたかもしれない(高い機会費用)訳ですから、つまらない会議をつづけていると「また意味のない会議か」となって、会議での意志決定に不可欠な人物が土壇場になって欠席したり、参加者が席におちつかず会議室を出たり入ったりすることになります。詰まるところ「意味がない会議」として軽く見られているのです(その割には会議は減りませんが)。 ボランタリーな活動や団体だと、ミーティングでも「やる気」のある人がやってきます。 ところが、時折、「自分のおもい」を熱弁して、人の意見を聞かない(しゃべりまくって、他人に話すの時間を与えない)人がいます。会社の会議より、ボランタリー活動・団体にこそ、この手の人が登場しやすいのです(経験ありませんか?)。 声を使うと同時に複数の人が意見
このエントリーは、経済学を人文科学のひとつにしている人(バカ)がいる、という「驚き」から書かれた。 少し弁護しておくと、人間、自分と近い立場については細かく分けて見るが、自分から遠くなるほど「いっしょくた」に見えるものである。 たとえば理系の人にとっては「文系」はすべからく同じに見えるのかもしれない(逆に文系からは「理系」はすべからく同じに見えるのかもしれない)。 まあ、しかし最初から、そう決めつけるのはあまりに失礼だ。 事実、個人的に意見を交わすことのある「理系の人」は、人文科学や社会科学についても実に多くの知識と見識を持ち合わせている。 では「経済学を人文科学のひとつ」として扱う人間が、特別に知識に欠けアタマが悪く、新聞の論説記事はもとより4コママンガのオチもわからないというのだろうか(論説記事の方はしばしばオチがないけれど)? とりあえず分割図を描いてみた。 (1)理系/文系の区分…
小沢疑惑をめぐり、検察リークや各種のつてからの報道が錯綜している。ざっとしか見回していないのだが、同じ内容と思われる話や、同一テーマと思える対象への解説などで、報道社ごとにそれぞれ微妙な違いがあり、なんとなく心に沈んでくる印象がある。あくまで個人的な印象だが、一市民の感覚として書いておきたい。 小沢疑惑について一番正確で問題の核心をうまくついているのはNHKのようだ。独自のソースもあるだろうが解説委員らの長年の研鑽も大きいようにも思われる。NHKはよくバッシングされるし、経緯の上から朝日新聞と反目している部分もあるだろうが、私の印象ではもっとも公平にも思える。 NHKが際立った例として、二点挙げたい。まず、疑惑の4億円の口座についてだが、小沢氏が主張する自己の口座からの引き出しについては、うち3億円について、NHKが他に先行して報道している。他のソースでは見かけたことがないので、NHKの誤
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