帝人事件(ていじんじけん)は、戦前の1934年(昭和9年)に起こった疑獄事件。齋藤内閣総辞職の原因となったが、起訴された全員が無罪となった。そのため、現在では倒閣を目的にしたでっち上げの可能性が極めて高いものと見なされている。 経緯[編集] 帝国人造絹絲株式会社(帝人)は鈴木商店の系列であったが、1927年(昭和2年)の恐慌で鈴木商店が倒産すると、帝人の株式22万株は台湾銀行の担保になった。業績が良好で株価が上がったため、この株をめぐる暗躍が起こっていた。元鈴木商店の金子直吉が株を買戻すため、鳩山一郎や「番町会」という財界人グループに働きかけ、11万株を買戻した。その後帝人が増資を決定したため、株価は大きく値上がりした。 番町会は関東大震災の前頃に河合良成、岩倉具光、後藤圀彦が、懇意の郷誠之助男爵の番町の自宅を訪れ食事を共にする会として設立した[1][2]。 1934年(昭和9年)1月17
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