約100年ぶりの世界的パンデミックに対峙した日本政府が露わにしたのは、政策をはっきり定められないトップの曖昧な姿そのものだった。それは、空気に流されるように日米開戦を決めた80年前の為政者の姿と重なる。 いま話題の、現代史家の大木毅氏が上梓した『「太平洋の巨鷲」山本五十六』では、当時の山本五十六が情勢変化を見抜きながら、彼自身も官僚組織の一員としてビジョンなきリーダー(政治)に翻弄されていく姿が描かれている。前編(『日米開戦80年の真実…山本五十六が「日本必敗論」のウラで「真珠湾攻撃」に踏み切った本当のワケ』)に続き、80年前からいまも続く「日本型組織の問題」を大木氏に聞いた。 日米開戦前の「楽観論」 ーーお話をうかがうと山本五十六の先見性や才能には惚れ惚れします。しかし、そんな山本五十六も国という大きな組織では、やはり組織人として生きざるを得なかった。国と企業という次元の違う話をして恐縮