タグ

ブックマーク / tokunoriben.hatenablog.com (4)

  • 理由はどうであれやっぱり一般市民40万人皆殺しって原爆は畜生の所業だと思うんだよナァー - 拝徳

    僕は学生時代、広島で育ったのですが、土地柄やはり平和に関する教育というのは多かった気がします。 今でも覚えているのですが、小学生の時に原爆の体験談を聞いて作文を書けというのがあって、周りが揃って原爆は絶対許せないみたいなのを書いてる中、天邪鬼っ気が働いて、原爆が落とされるのは戦争だったし仕方ない面もあったかと思う。ただ、戦争を早期に終わらせる威嚇目的ならわざわざ街のど真ん中に落とさんでも東京湾とか、人がおらんとこに落として威嚇してもええんとちゃうんか? 他の方法あったやろ。 みたいなことを書いて提出したら、職員室に呼び出されて烈火のごとく激怒されたことがある。 まぁ広島とは言え、別に広島生まれではなかったからね。親族が死んだとかもなかったしさ。小学生の理解できる歴史観には限界があるよね。 でも今世界情勢や社会の歴史についてある程度理解ができる立場にたって振り返ってみると、やっぱ原爆は極悪す

    理由はどうであれやっぱり一般市民40万人皆殺しって原爆は畜生の所業だと思うんだよナァー - 拝徳
    hate_flag
    hate_flag 2015/08/10
    人の住んでる町に爆弾を落とす行為がそもそも鬼畜の所業よ。その点ではドレスデンも東京も重慶も広島も変わらん。id:hazime2914 「悪い」ではない。「日本が7月に降伏していれば広島長崎原爆は無かった」それだけ
  • 意識高い(笑)と小馬鹿にしてる人に哀れみを感じる。 - 拝徳

    最初の3年で仕事人生の大半が決まる説 - sudoken Blog 周りで評判になっていたこの記事を読んだのだけどすごくハラオチした。 僕は普通に社会人やっていたらちょうど3年目の計算になるのだが、今の自分はまったく誇れるような仕事ができていないので、当にこれは良くないなと思ってものすごい危機感に苛まれ猛省した。 他の人はどんな意見なんだろうと思って、はてブのコメントを見たら、 「意識高い系(笑)」「社畜ガー」 云々みたいなコメントで大半が埋め尽くされていて、残念というか哀れみの気持ちでいっぱいになった。 はてな界隈で残念に思うのは、意識高いのを小馬鹿にして、賃金を対価として正当にもらっているのが最善みたいな風潮である。 意識が高いとか低いとかで重要なところって、別に世界を一周するとか、利益度外視で仕事にガムシャラに打ち込むとかそういう行為じゃなくって、 普段の物事の見方や考え方が変わっ

    意識高い(笑)と小馬鹿にしてる人に哀れみを感じる。 - 拝徳
    hate_flag
    hate_flag 2014/03/17
    「入社三年は死ぬ気で働け」って言ってるのは新人を薄給で使い潰して体壊して辞めたら次の新人を…ってサイクルで業績好調な会社の経営者だからね。結果的に労働の価値が下がってこっちにも迷惑だからさ。
  • 日本人は「兵站」に関する意識が低すぎるんじゃないか、というお話。 - 拝徳

    前回の日ユニセフに関する記事は未だにコメント欄に様々な意見が寄せられていて、いい勉強になります。 前に書いたブラック企業に関するエントリもそうだけど、自分のブログに対する反応や意見などを呼んでいて日は兵站に関する意識が結構低いのではないかとふと考えてみました。 これは単に僕が会社をつくってビジネスをやるようになって兵站の重要さを身にしみて考えるようになったことと無関係ではないと思います。 経営における兵站の重要性は下記の清水さんのブログにとても質的なことがまとめられています。 戦略(Strategy)、作戦(Operation)、戦術(Tactics)、そして兵站(Logistics) - UEI shi3zの日記 http://d.hatena.ne.jp/shi3z/20120416/1334543387 兵站というのは、もともと軍事用語で「戦闘地帯から後方の、軍の諸活動・機関・

    日本人は「兵站」に関する意識が低すぎるんじゃないか、というお話。 - 拝徳
    hate_flag
    hate_flag 2013/11/27
    id:enderuku みたいに「100%寄付されないのはおかしい」と考えてるのは「10円が原価のお茶のペットボトルがコンビニで150円で売ってるのは詐欺」と考えるのと同じくらい愚かだ。
  • ラピュタなんてなければ、幸せだったのに - 拝徳

    ラピュタを見た。やっぱり20年を超えて今もなお語り継がれるジブリ作品とだけあって、今もなおその面白さは色褪せない。 名作はいつの時も見る人の成長にあわせて違った何かを見せてくれる。 ラピュタで一つの重要なテーマが主人公のパズーとシータ二人の境遇である。 パズーは、貧しい炭坑街の孤児。そしてシータもまた貧しい寒村の農家の孤児。 永遠に開けることのなかった未来は「飛行石」という奇跡によって急展開を迎える。 ドーラのもう2度と戻れないかもしれないよ。との問いに迷わず構わないと答えたパズー。 戻れなくなっても構わない、という覚悟だったのか、戻りたくなかった、という逃避だったのかはわからない。 少なくとも二人には失うものなんて何もなかった。 きっとパズーとシータは多分あの冒険が人生の絶頂になるんだろう。 得難い経験をしたことは確かだけど、ドーラ一家と別れた後、二人を待ち受けている現実はあまりにも残酷

    ラピュタなんてなければ、幸せだったのに - 拝徳
    hate_flag
    hate_flag 2011/12/12
    俺は宮崎駿と一緒に酒を飲んでみたいと思うが、このブログの書き手とは飲んでも楽しくないと思うな。
  • 1